甘く切なくあたたかく、優しい死を彼らに

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  Lacrimosa ep.2-04  

「平和なものだな」
 背後から掛けられた平坦な声に男はガラスに薄い笑みを映し出した。それは部屋に入ってきた皆本の目に入り、彼は緩く唇を持ち上げて笑みを模る。
 燦々と陽射しの降り注ぐ日だった。心地よい暖かさは直にその陽射しを浴びることをせずとも室内にいる男にまで伝わり、時折窓の隙間から入り込んでくる風が静かに撫でていく。
 眼下には日々手入れを怠ることのない庭が広がっていた。吹く風に枝葉を揺らし、囁くような音を立てる。枝を離れた葉が、ダンスを踊るかに風に舞う。
 整えられた庭の中でも一際に目立つ、大木。春には薄桃色の美しい姿を見せる桜の木は、今はその花びらを散らし青々と葉を茂らせている。
 そのすぐ傍で。木陰に入って身体を横たえた少年の姿があった。男がそれに気付いてから、もう幾時が過ぎたのか。たまに身じろぐ程度で起きあがる気配のない彼は、この心地よさに誘われ眠っているのだろう。
 徒に吹く強風が枝葉を煽って彼に直接陽光を注ぎ込めば、むず痒そうに身返りを打つ彼の姿は気紛れな猫に似ているような気がした。
 そんな穏やかな、午後だった。日々の様相を忘れさせるかに、穏やかな。
「たまには休息も必要だからな」
 男は笑みを浮かべた唇でそう紡ぐ。一度戦争が始まってしまえば、彼らに休息などはない。戦場で得られる休息など、高が知れている。
 それが幼い身体にどれだけの負担になっているのか、わからないし想像するしかないが、だからといって彼を贔屓にするわけにもいかない。皆は平等であり、そして彼もまた一人の軍人だった。
 けれど、こうしてふと何でもないただの少年に戻れる時、その時くらいは普通に過ごさせてやるのもまた、必要だろう。
 次の戦闘に備え、休養を得て英気を養うことも重要だ。
 視界の端から長い髪を揺らして少年へと駆け寄る少女の姿を見止めて、男は窓際から姿を離す。
 そして男がその場から離れるまでドアの前でただ静かに控えていた青年を部屋の中へと促した。その時の表情には既に程までの穏やかな色は見えず、男もその穏和な表情に昏い陰を落としていた。
「お前が睨んだ通りだったよ、皆本准尉」
「そうか」
 答える皆本の声は抑揚のない男の声と同じく、淡々とあっさりとしたものだった。己の成果を喜ぶわけでもなく、自慢するわけでもない。ただそれを一つの事実として受け止めているだけ。
 それにこれは決して喜ばしいことではない。
 頷いた男の促しに従って皆本は椅子に座り、対面の男を見返した。
「骨折り損にならずに助かったというべきか。……少々敵が多すぎるのでは? 隊長殿」
 軽口を含んだ皆本の言葉に男はただ意味深に唇を歪めて見せるだけ。見返す皆本に何も言葉を返すような真似はせず、皆本もそれは分かっていたのか小さく吐息するに留める。
 何も炙り出した敵をこの男自らが生み出しているわけではない。陸軍特務機関超能部隊という異種の部隊が発足した当初から、既に彼らの周囲には敵しか居なかった。例えそこが、味方の軍内であったとしても。
 超能力者という存在が公に認められているわけではない。超常現象を容易く扱ってみせる彼らは胡散臭い集まりだとしか見られない。
 科学で証明しようとしてもその原理すら分からず、にわかには信じ難いそれを頭の固い人間に理解させようにも難しい。どんな仕掛けがあるのだと責められたとしても、答えに窮するしかない。彼らは、超能力者と呼ばれる者達はそれを呼吸するかの如く使うことができるのだから。
 それは人にどうやって呼吸しているのかと訪ねるのと同じ。生まれたときからなんの違和もなくそれをしてきた人間に、その当たり前を説けと言われても、難しい。
 集団意識が顕著に現れる日本人には異端を受け入れる柔軟性がない。頭が固い、と言えばそれまでだが、異形を恐れるのだ。それが自らの地位さえも危ぶませるものであれば尚更に。
 だからどんな手を使ったとしても、それを排除しようとする。
「外の敵より中の敵、か。背中から刺されるなんて、冗談じゃないな」
「そう易々と漬け込まれるほど、私達は脆弱ではないがね」
 過度の自信は自ら身を滅ぼすことになる。しかし男が言うように、彼らは――彼は――は甘くはない。
 表も裏もある世界で正直に生きる人間は少ない。今見せられているものが真実であるのか虚像であるのか、生き抜くには見極める目が必要となる。
 あえて道化を演じて自らを安く見せるか、張り付けた虚像を真とし相手の目を欺き続けるか。或いは正直に生き排斥も止む無しとするか。
 人の生き方は様々だ。多様に生きる為の道理があり、道理有る者は悔い無しと死ぬことが出来る。だが道理無き者は無様となる結末しか用意されない。
 歩む道が自ら選んだものなのか選ばされたものなのかはこの際関係ない。あるのはただ、その道で己の信念を貫けるか否かだ。強要されたものであれ、それを己のものとする事が出来なければ、生き抜くことは難しい。
「彼らの処遇は?」
「気になるのか」
 一度ゆっくりと瞬いてから問い掛けてきた皆本に、男は口元にうっすらと笑みを浮かべて問い返す。意地の悪い、探るような視線を見返しながら皆本は肩を竦めて否定を示す。
 皆本は軍人となる時、国に魂を売る覚悟はしたが、情までは売っていない。けれど、自らに害成す人間――それも下賎と分かりきっている人間――にまで向ける情は持っていない。
「いない人間は利用価値がないからな」
 だから、その存在の有無を確認しておきたいだけだと告げれば、男は笑みを深める。
「あれでも国としては必要だからな」
「あんな人間に任せなきゃいけない国の将来などたかが知れたものだ」
 皮肉に嘲る皆本を男はただ静かに見つめ、息を吐き出す。
 その男の態度に皆本は我に返ったように男に視線を合わせ、罰が悪く顔を逸らす。皆本がそうして蔑むものは、男にとっては忠義の対象。不敬とも取れる皆本のその態度を男が許容しているのは皆本が国になにをされたのか知っているが故のこと。
 だが皆本は知っている。それすらもお国の為ならば、男に躊躇がないことを。皆本のこととて同情も哀れみもないと言うことはそれだけ無関心であるという事であり、異議はないということ。
 その、我関せず、という態度を貫くからこそ皆本は男を信頼はしているが、信用はしていない。
 一番厄介な人間だと、皆本はそう思っている。穏和な人間を装ってはいるが、超能部隊の指揮を自ら志願するような男だ。野心がないわけではなく、何の目算もないわけではないだろう。
 国に忠義を尽くすのは軍人として当然と言えば当然だろうが、この男はそれだけに収まらない気がする。なにを目的としているのかは皆本には読めないが、あまり良くない予感がするのは事実だ。
 それが、皆本に与えられたものの副産物がそう思わせるのかは、わからないが。
「ああ、そういえば」
「うん?」
 雰囲気を変え、腰を上げた男を首を傾げて見上げる。苦笑の滲んだ雰囲気にどうしたかと思えば、男は笑みを含ませた声で告げる。
「お茶も出さないとは不作法だったな」
 すまなかった、と詫びる男に皆本は首を振り、席を離れようとするのを制する。
 渋るように何故、と目線で問いかけられるそれに、皆本は微かな笑みを浮かべた。
「不二子さん達とお茶の約束をしていてね。もし暇ならお前も誘うように言われているんだが……どうする?」
「……すまないが、と伝えておいてくれ。この後出掛けなければならなくなった」
「近々また戦争か?」
「ああ」
 繰り返される戦争。
 その果ては、どこにあるのか。

□ ■ □

「……浮かない顔をしているわね? 皆本さん」
「っ、あ……、ちょっと考えごとをね」
 不二子の指摘に皆本は我に返り、笑みを取り繕う。不安に見つめてくる四つの瞳になんでもないのだと笑みを向けてカップに口付ける。
 そんな安い誤魔化しに引っかかるほど彼女達は子供ではない。しかし引き際と言うものも知っており、皆本に語る気配がないのだと悟ると素直に引き下がる。
 それでも、不二子は何か言いたげに皆本を一瞥して、持ち上げたカップで喉を潤す。
「私達って……」
「うん」
「余暇の使い方が下手なのかもね。こうやってお茶をするのは楽しいけれど、いつも通りだわ」
 溜息混じりに呟かれたその言葉に皆本は笑みを零し、兵部へと視線を移す。義姉と違いこの穏やかな時間を過ごしているだけで十分だと告げたそうな顔は考えるように困惑の色を見せ、視線に気付いたか皆本を向く。
 どうしよう、と問い掛けてくる眼差しに皆本は浮かべていた笑みを明るくして、そうだね、と相槌を打つ。
「でもそのいつも通りが何よりもかけがえなく大切だったりするんだよ。これと言った得るものに今は気付かなくてもいつか気付く時が来る。焦って何かをする必要はないさ」
「皆本さんは……。今こうして私達に付き合ってくれているけれど、したいこととか、なかったの?」
 そう問う眼差しは不安げで、やはり彼女達はまだ子供なのだと、思わせる。こんなまだ年端もいかぬ少年少女達に国の未来を預けるなど――それがその身一つが武器となる超能力兵だとしても――、きっと将来は明るくない。
 今は、彼らにもこれは皮肉にもと言うべきか活躍できる場があるからその存在が認められている。これがもし争いも何もない平穏な世界だとすれば。彼らに対して世界はどれだけ対応できるのか。
 いつ崩れてもおかしくはない不安定なその足場に、彼女達とて不安を抱かないことはないだろうが今は「国の為」に身を粉にして戦争に参加することが彼女達の存在意義。存在価値。……生かされる、理由。利用されているのだとしても、そうと知られることがなければ生まれた信頼関係は崩れることがない。
「僕も、これと言って特にはね。今の所は弟妹の相手をすることくらい、かな」
 きょとん、という表現が似合いそうな表情を見せる不二子と兵部に笑みを深めれば、二人ともが頬を赤らめる。見せられる素直な反応に荒んだ心が癒される。願わくばその素直さが失われなければいい、と思うが、この世の神は意地悪だと言う事を皆本は知っている。
 彼女達に愛しさも抱くが、それと同等の妬みも抱く。それは皆本が彼女達と同じであり、違うからだ。
 その違いが明暗を分けた。けれどこれはもう、皆本とて納得していることであり今更文句は告げられない。選ばされたのか自ら選んだのか。その違いを考えることですら億劫でならない。
 己の立場に納得しているのならすることはただひとつ。

 最大限に現状を利用し、有利に駒を進めるだけ――。
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