少佐と主任の三歩進んで二歩下がるお話

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  愚か者の見た夢 01  

「潜入捜査、ですか……」
 桐壺に呼ばれ今度の任務内容を聞き、皆本はつい眉を顰めていた。
 ただ超能力者犯罪者を捕まえるだけで収まりそうにはない、何か直感めいたものが脳裏に過る。部屋に入って来た時から感じていた些細な違和感。
 緊迫したような空気が、それを助長させる。
 傍らに控える柏木を桐壺が一瞥すると、その視線の意図を酌んだ彼女が皆本に近付く。
 差し出された資料を受け取り、礼を告げると皆本は重要な情報を取りこぼさないように素早く隈なく目を通し始める。時折、皆本の指が紙を捲る音だけが響く、静かな空間。
 最後の一文にまで目を通すと、皆本は細く息を吐き出した。
「……この事を、チルドレンには?」
「内密に頼むヨ。彼女達には君の代わりに賢木君を付ける」
 これは既に決定事項となっていて、そこに一介の職員でしかない皆本には断る余地もないのだろう。誰か他の人物に任せられるような事柄であれば、この話が自分に回って来ることもなかったはずだ。
 桐壺が皆本が適任だと判断したから、今此処に居る。
 買い被られているのか――。
 正直な所、皆本には自信は無い。
 常に最悪のパターンを予想し、そうならない為に行動していたとしても、相手もまた人間。どんな行動を取られるか分からない。
 だが、皆本が返す言葉は最初から決まっている。
「分かりました」
 踵を揃え、直立する。
 断れないのなら迷うだけ無駄だ。
 やるしかない。
 真っ直ぐな皆本の眼差しに、未だ迷いを見せていた桐壺も吹っ切る事にしたのだろう。静かに頷きが返される。
「出発は明朝。既に手配は済ませてある。期限は1週間。――研修員として、頑張って来てくれ給え」
「はっ」
 長い、1週間が始まりそうだ。

「えーっ、皆本1週間も居ないのかよ!?」
 待機室へとチルドレンが戻って来たとの報せを聞き、皆本は早速、彼女らに明日からの不在を伝えた。どうせ薫達にも知らせなければならない事だ。早いほうがいいだろし、下手に隠す必要も無い。
 予想通りに納得できないと訴えてくる三人を宥めて、肩を竦める。
「仕方が無いだろう? 仕事なんだから。遊びに行くわけじゃないんだ」
「そんなことウチらかてわかっとるけど……」
「仕事とあたし達とどっちが大事なんだよ!? 皆本!」
 噛み付いてきそうな目で睨まれ、苦笑する。
 予想していたことではあったがチルドレンを納得させるだけでも骨が折れそうだ。特に薫は強敵となるだろう。
 全く何処でそんな言葉を覚えてくるのか。薫がどんな返答を期待しているのか、分からないわけではない。しかし、生憎と皆本はその彼女の望む言葉を掛けてやる事はできない。
「君達が大事じゃないわけじゃない。それでも、仕事は優先させるべき事柄なんだよ」
「それってどうしても皆本さんじゃなきゃダメなの?」
 冷静に訊ねてくる紫穂に、皆本は軽く肩を竦める。
「……みたいだね。なに、1週間なんてあっという間さ。その間賢木と柏木さんが来てくれるらしいから、迷惑は掛けるなよ」
 柏木の名前を出した途端に、薫の身体がぴくりと反応を見せる。分かりやすい反応だ。こういうところもまだまだ子供か。……考えている事は全く子供らしからぬ事だが。
 そして薫とは対照的に、紫穂の顔が嫌そうに歪む。接触感応能力者同士故か、単なる性格の問題か。いがみ合いながらも紫穂と賢木はお似合いだと、皆本は思っているが。
 まるでそんな皆本の考えを読んだかのように紫穂が視線を向けてきて、慌てて払拭する。透視されてはいないだろうが、何と無く後ろめたい。
「けど、なんで皆本一人なんだよ?」
「せや! 仕事なんやったらウチらも一緒に居た方が……」
「ありがとう。でも今回はただ派遣として出向くだけだからね。君達の出番は無いよ」
「1週間も泊り込みじゃなきゃだめなの?」
 何か、探るような視線に皆本はやはり紫穂は侮る事が出来ないと、内心ドキリとする。それを表に出してしまえば、何かあると勘繰り透視されてしまう可能性もあるだろう。ポーカーフェイスはあまり得意ではないのだけれど。
 それに、彼女達を騙す罪悪感もある。
 皆本は三人と視線を合わせるようにしゃがみ込み、それぞれの頭を撫でる。
「あくまで予定だから、早めに帰って来れる可能性もあるんだ。僕としても、君達と1週間も離れるなんて心配だからね。早く帰って来れるように頑張るよ」
「〜〜っ。皆本っ!」
「う、わっ……、ちょ、こら薫!」
 感極まったように、薫が皆本目掛けてダイブする。
 いくら小学生の身体と言っても、しゃがみ込んだ不安定な足では支えきれない。何とか堪えようと片足を引いてバランスを取ろうとするが、意表をついたような第二波、第三波に呆気なく皆本は小さな身体に押し倒された。
 ぎゅうぎゅうと首にしがみ付いてくる細い腕。競い合うように身体を押し付けられて、正直苦しい。ああこれは完璧に勘違いを起こしているな、と思っても多少はその勘違いが勘違いでない事も否めない。
「こら、離れろよ、お前達。苦しいって……」
「やだーっ。やっぱ皆本と離れてなんからんねぇよ!」
「ウチも! 皆本はんがいやや言うてもついてく」
「私もー」
 更にぎゅうっとしがみ付かれ、本当に首がヤバイ。一体何処からこんな力がと思うほどに、離す事ができない。このままでは彼女達と一生のお別れとなりそうだ。
「おーい、皆本ー…………」
 その時不意に、待機室のドアが開けられた。
 上下逆さまに見える皆本の視界に、賢木の姿が映る。
 一方で賢木の視界にも、明らかにチルドレンに押し倒されたとわかる皆本が映った。
 ばっちりと視線が絡み合って、皆本が助かった、と呟こうと口を開いた瞬間に、ドアが閉められていく。
「悪い、後でまた来る。やる時はちゃんと鍵くらい掛けろよ、皆本」
「え、ちょ、この状況でなに想像してんだよ、賢木!?」
 闖入者の居なくなる気配に、胸元で「賢木先生気が利くじゃん」とか「入るときはノックくらいしてよ」なんて声が聞こえてくる。
 渾身の力で皆本が賢木の名を叫べば、意外とあっさりと、ドアがまた開けられた。そこから顔を覗かせた賢木は完全からかっていたのだろう。快活に笑いながら、至極楽しそうだ。
 ふつりと、皆本の中に殺意に近しい感情が込み上げてくる。
「ほらほら。いい加減皆本から離れろー」
 本当に助ける気があるのかどうなのか、賢木が三人に掛ける声からは読み取れないが、薫達は――というより薫だけかもしれないが――つまらなさそうな顔をして素直に皆本から離れる。
 漸く三人分の体重から解放されて、空気を新鮮に感じる。散々に乱れたスーツを形だけでも整えて、皆本は賢木を振り返った。
 皆本に用事とは、賢木も桐壺から明日からの事を聞いたのだろうか。
 思い浮かぶ賢木の用事といえば今はそれくらいしか出てこない。皆本の視線に気付いたか、賢木は小さく苦笑する。
「明日からよろしくなー」
「げ、本当に賢木先生と一緒に居なきゃいけないのかよ」
「なんだよその言い方! 俺だって凹むぞ」
「勝手に凹んでれば? 私達には関係ないから」
 ぎゃいぎゃいと、喧嘩をしているようでも楽しそうな声だ。盛り上がる四人を尻目に、それにしてもと、嘆息する。
 皆本は確かにああ言いはしたが、本当に1週間で帰って来られるだろうか。
 そこに希望的観測が多分に含まれていたことは否めない。払拭しきれない嫌な予感が、確実に皆本の身体を包み込もうとしている。
 それでも、やらなければならない事なのだ。明日には、此処を離れる。その先で何が起こっても不思議ではない。万が一という可能性も、考えなければならないのだろうか。
 皆本が目を通した資料に書かれていたのは、密かに行われているという超能力の研究施設について。少しでも素質のある子供達を集め、人為的に潜在する能力を引き出す。
 それが、今に始まった事ではないという事はわかっている。超能力者という存在は、研究者にしてみれば興味深い研究材料。そこに金と野心が絡めばどういうことになるのか、想像できないわけじゃない。皆本も過去に、その実態に関わらなかったわけじゃない。
 そしてその研究所には、政府関連も絡んでいるという。もし、それが国家絡みで行われているのだとすれば、皆本に、バベルに止められるはずが無い。どうして、桐壺は皆本を選んだのだろうか。どういう基準で皆本が適任だと判断したのだろうか。頭脳の、高さか。確かに皆本は現場運用主任を務める前は研究所に居た。そこでの貢献も大きかったのだろう。
 今は、その能力の高さを、恨むべきか。
 欲しくて、皆本が望んでそんな事が出来たわけでもないのに。
「おーい、皆本?」
 ひらひらと、眼前で振られる褐色の手の平。揺れるその手の向こう側に、じっと見つめてくる賢木の顔がある。
 それに皆本が我に返って軽く周囲を見渡すと、賢木と言い合っていたはずの薫達が見上げてきている。
 一体自分はどれだけの間意識を飛ばしていたのだろうか。
「あ、ああ、悪い、賢木。なんだ?」
「なんだ、じゃねぇよ。呼んでも返事しねーし」
「悪い、少し疲れたのかもな」
 苦笑して、適当に取り繕う。
 全てを告げるわけにもいかない。
 もしかしたら、明日から1週間の出来事は、皆本の胸の中に仕舞われる出来事かもしれない。
 賢木は納得しきれない様子ではあったが、皆本が意外と頑固でもある事を知っているからか、追求はしてこない。薫達も何かを感じていながら、何も言ってはこない。
 今はただそれに、救われる。

 夜。薫達が寝静まって、皆本は静かにベランダに出ていた。何も月見をしようというわけじゃない。ただそこに、用事があったから。
「兵部、居るんだろう?」
 夜空に向かって声を掛ける。
 するとすぐに不意をつくように隣に人が現れる。振り向いて顔を見れば、些かその表情は不機嫌そうだ。どうした、と声を掛けるのはわざとらしいだろうか。
 皆本は開きかけた唇に力を入れる。
 見詰め合ったまま、先に口を開いたのは兵部だった。何も言わない皆本に痺れを切らしたのかもしれない。相変わらず短気だ。
「あそこに行くんだって?」
「相変わらずどこから情報を仕入れてくるんだ」
 真剣に問うて来る声に、わざと、呆れを滲ませる。――半分くらいは本気だが。
「そんな事はどうでもいい。君は正気か?」
 咎めるようにきつい眼差しに、皆本もわざと話を逸らすのを止め、神妙な顔つきで頷いた。
 元から、兵部の耳に情報が入るだろうとは予想していたことでもある。あの研究所の実態を、兵部が調べないわけが無い。
「正気だよ。だから行くんだ」
「ハッ。普通人の君に何が出来ると?」
「僕だから出来ることだよ。……心配、してくれてるのか」
 その真意を探るように、皆本は兵部から目を逸らさない。見つめる眼差しが、不意に憂いを帯びる。不遜な彼が見せる、胸が締め付けられるようなその眼差しから目が離せない。
 安心させるように、皆本は兵部の手を両手で握り締め額に当てた。
 祈るように、呟く。
「僕は、大丈夫だよ」
 これまでだって、危険と思える任務が無かったわけじゃない。その時だって皆本はちゃんと乗り越えてきた。
 それに帰る場所が、待っていてくれる人がいる。
 大丈夫だから。
 心配しないでいい。
「……強がりだね」
 触れている兵部には、皆本の感情など筒抜けだ。
 それでも皆本は大丈夫だという。それは、自分に言い聞かせてもいるのだろう。
 握り締められた腕を引いて、兵部は皆本の身体を抱き締める。
 ビク、と怯えるように緊張を見せる身体に笑みを零して、耳元に囁く。
「大丈夫だよ。君にプレゼントをあげよう。明日のお楽しみにしておいで」
 くすくすと、悪戯を企むような軽やかさで兵部は笑い、耳朶に口付ける。
 湿った触感に、皆本は慌てて兵部の身体を押し返し耳を押さえる。
 真っ赤な顔でぱくぱくと開閉を繰り返す唇にも触れるだけの口付けを落として、兵部はおやすみと言い残して姿を消す。
「……くそじじい」
 火照り出す身体を一人抱え、皆本は睨むように虚空を見上げた。
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