解き放たれる、無限の可能性

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  君の純粋さ、それはゆるやかに終わりに向かうような  

「あ……」
 偶然、対面してしまったその姿に、ヒノミヤは一瞬のうちに思考を停止させていた。それでも今いる場所が人通りも多い往来であるとどうにか思い出すと、その人物と連れ立って場所を移動する。
 辿り着いたのは、人気も少ない公園の遊歩道。丁度空いていたベンチに腰掛けて、だが自然と端と端に、間を空けて座ってしまったのは、気まずさゆえか。
 会話のきっかけは見いだせなかった。そもそも何を話したらいいのかもわからない。
 あの日以降、ヒノミヤが兵部と皆本の関係性に加わることはなかった。それはヒノミヤがあの部屋に近付かないようにしていたからでもあるし、それどころではなくなってしまったからでもある。
 遊園地で協力を要請されたときも、船が沈んでからもニューヨークでも、皆本はヒノミヤと何事もなかったかのように接し、あの日のことを思い出させるような言動は何ひとつ見せなかった。清々しいまでに、そこにあったのは仕事に真面目な青年の姿だった。
 兵部に嬲られ、恥辱を味わわされながらも見せるのは僅かな抵抗だけで、従順となる淫靡な姿は片鱗すら窺わせなかった。
 それが皆本の理性の強さなのか、どうなのかはヒノミヤにはわからない。だが自らも掘り返したくはない出来事に、それで助かっていたこともある。――顔の合わせ方がわからなかった。
 場を変えたのはいいが、改まってしまったせいで余計にどう口火を切ればいいのか分からなくなってしまった。ただ徒に過ぎていく刻の中で、ヒノミヤはこっそりと隣に座る青年を盗み見る。
 きっちりと着込まれたスーツは、相変わらず皆本の真面目でお堅い雰囲気を醸し出している。どこを眺めているのか真っ直ぐな横顔は、同性のヒノミヤから見ても端正な部類だろうと思う。今はオフモードであのか、公人の立場としての顔ではなく、親しみやすそうな穏やかさは、好青年として覚えもいいだろう。
 でも、その服を剥いだ下には、淫らな肢体がある。
「……僕も、さすがに同じ男にマジマジと見つめられて喜ぶ趣味はないんだけど」
 困ったように眉を下げて、皆本が振り向く。ヒノミヤは、あえて視線を逸らすような真似はせずに皆本を見つめ続けた。
 ますます困惑の色を濃くしていく皆本に、あの日見た妖しさなどない。
 だが。
「皆本――お前、何で兵部を拒まないんだ?」
 ヒノミヤがそう疑問を投げかけた刹那。二人の間を一陣の風が吹き去っていく。そうして乱れた髪を片手で押さえた皆本の横顔に、いつかの陶然とした表情が滲む。
 陵辱されながらも、それすら受け入れ淫らに喘いでいた、憐れな青年。
 それは、ヒノミヤの思い違いだったのか。
「なんで――って?」
 くすり、と笑いを零した皆本に、ヒノミヤは直感で続く言葉を悟る。
「それを君に話す必要が?」
 そう言って微笑んだ顔が、ここにはいない、もう一人の当事者の顔と重なる。あの男も、同じことを言っていた。
 そして。
「……ああでも。君は巻き込まれた人間なんだから、何も知らないままじゃいられないよね」
 何も知らないわけでもないけど。
 音もなく、声もなく、ただ眼差しでそう語る皆本に、ヒノミヤは胸中で「嗚呼」と嘆息する。
 皆本が続ける言葉を、ヒノミヤは知っている。
「僕と兵部は、絶対に一緒にはなれない。一緒になってはいけない存在だ。目指す先にあるのはただ一つの未来でしかないのに、僕達は交われない。どんなに思っても、それが報われることはない。そんなことは、誰に言われなくても自分達がよく理解してる。僕は僕であることを、兵部は兵部であることを辞められない。僕達が一緒になると言うことは、つまりはそういうことだ。――だから」
 愛情よりも深い憎しみで繋がり合う。愛憎は表裏一体という。それでも、愛情は簡単に憎しみに裏返ってしまうのに、憎しみは簡単には愛情に変わることはない。それは、憎しみがより強い感情であるからだ。愛するがゆえの憎しみは強い呪だ。相手だけではなく、自らも破滅に導く。
「――愛し合っているんだろう?」
 今の皆本と同じ、愛しそうで、それでいて寂しそうな顔で同じ言葉を紡いだ男をヒノミヤは知っている。
「違うよ。言っただろう? ヒノミヤ。僕達は憎しみ合っているんだ」
「いいのかよ、それで」
「いいも何もこれは誰かに強要されたことじゃない。それにさ、ヒノミヤ。兵部は結構、自由人だろ?」
「は?」
 自分がしていることがお節介で、二人にとって余計なお世話だとも気付いている。それでも言わずにはいられなかった。無理矢理に二人の関係に巻き込まれたからか。
 だがそんなヒノミヤの葛藤も焦燥も気付いていないのか、気付いていて知らない振りをしているのか。唐突に振られたように感じた話題に、ヒノミヤは間抜けた顔を晒していた。その前で、皆本はどこか嬉しそうに、笑んでいる。
「僕には捕まえられない。僕にその力はない。手を拱いてしかいられなかった。彼の眼中に入るのだって、僕がザ・チルドレンの現場運用主任であるからで、未来で――。……だったら、僕個人のアイデンティティーはどうなる? 兵部にとって僕の付加価値にしか用がないんじゃ、それこそ報われない。なら、僕自身に向けられる僕にだけの強い感情がひとつくらいは欲しくなるじゃないか。アイツは、自分のこと以上に超能力者の未来しか考えてない」
 一点も、曇りなく。
 いっそ純粋であるように、皆本はその考えに疑問を抱かない。躊躇がない。
「ああ、そっか……」
「?」
 一人納得するヒノミヤに、皆本が不思議そうに首を傾げる。浮かべられた表情に変化はない。つまりはそういうこと。
「だからアンタ、あのとき俺に謝ったんだな」
 どうして被害者である皆本が加害者となろうとしているヒノミヤに謝罪するのか、疑問で仕方なかった。だが、はっきりとした。
 あの場においての加害者は兵部と皆本であり、ヒノミヤこそが被害者だったのだ。ヒノミヤは利用されたに過ぎない。兵部にも、皆本にも。最初に巻き込んだのは兵部だが、皆本もそれに便乗した。――互いに、相手を嫉妬させようと。更なる憎しみを募らせて、互いしか見れなくなるように。
 そこにはなにが正しいのかも間違っているのかもない。
 あるのはただ、互いに向け合う感情のみ。それ以外は意識に入らない。
「ったく、誰かに見せつけたいんなら余所でやってくれ。俺を巻き込むなよ……」
 そうは言っても既に過去のことで今更時間を戻すことなど出来ないし、皆本にその自覚もありはしないのか、困惑した表情を浮かべられればどうしようもない。
 お手上げだとベンチの背凭れに深く身体を預けて、ヒノミヤは大きく溜息を吐き出した。困ったような顔をされれば、これではまるで自分が皆本をいじめているようだ。既に嫉妬深く独占欲も強い男がいるというのに、冗談じゃない。
 真相が晴れればなんてことはない。悩んだ分だけ損だ。
 だから意趣返しにでもなればと、ヒノミヤは意地悪に皆本を見つめた。身構える雰囲気に、胸がすく。
「アンタ、趣味悪いな」
 眼鏡の奥の瞳が徐々に見開かれていき、綻ぶように笑みが浮かぶ。
「――知ってるさ」
「そっか。そいつは救いようがねぇな」
「それも知ってる。どうしようもないんだ。僕達は」
「まったくだ。まあでも、二度と俺を巻き込まないんだったら、アンタらで好きにしてくれ」
「……さあそれは、兵部の気分次第かな」
「お断りだっつの!」
 反射で叫んだヒノミヤに、皆本は静かに狂った者の笑みを浮かべた。
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