解き放たれる、無限の可能性

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  禁じられた遊び-03  

 初めて性に興味を持ち、自慰をしたのは幾つの時だったか。その頃既に超能力者としても普通人としても輪に加わることは出来ず、荒んだ性格をしていたように思う。
 自慰をして得た快楽は到底気持ちの良いものではなく、抗い難い身体の昴りを覚えながらも、射精後に待っていたのは陶酔ではなく、虚しさと、後悔にも似た感情だった。
 今、ヒノミヤが抱く感情は、それと等しい。
 悔しそうに歪ませた顔を背け、身体を屈辱に震わせる皆本に憐れさを抱いても、それでも熱い肉の蠢きに欲望に負け、精を迸らせてしまった情けなさを言い訳する言葉は出ない。
「ぁっ……」
 欲望を引き抜く瞬間、小さく息を喘がせた皆本に遣る瀬無い気持ちになりながら、ヒノミヤは慎重に腰を引いた。
 もういいのかと、つまらなさそうな視線を向けてくる兵部のことは、無視だ。
 ヒノミヤは懺悔するように深く息を吐き出して、官能の名残を取り除く。
「俺は戻るぞ」
 一刻も早くこの場から立ち去りたい感情で、ヒノミヤは兵部にも皆本にも視線を合わさずに呟く。
 だが、ベッドから降りようとした手をまた、兵部に捕まれる。それを反射的に振り払おうとするが、きつく握り締める手は解けない。
 感情の昂りに任せてヒノミヤは兵部を睨み付け、すぐにそれを後悔する。兵部の顔に浮かんでいるのは、ヒノミヤを共犯者として秘密を有しようとする者の表情だ。
「ヤリ逃げだなんて最低だな」
「なっ、それはお前が――!」
「僕は君を誘っただけで強要した覚えはないぜ? それに、皆本クンの身体に興奮してそれで犯して射精したのは君の意志だろ」
 それ、と兵部に顎で示される萎えた陰茎に、ヒノミヤは無駄と知りつつ服の裾を伸ばして隠そうとする。
 焦るヒノミヤに兵部はクッとおかしそうに喉を鳴らし、皆本の背中を膝に乗せるように持ち上げた。嫌がるように膝の上で背中を捩る皆本を気にすることもなく、兵部は男性器を模した玩具に嬲られ、ヒノミヤの欲望を咥えた窄まりに指を這わせた。
「あッ、やめろっ」
 皆本の制止も意味はなく、兵部の指先が窄まりに消える。
 四肢を突っ張らせて皆本は悶え、内奥を掻き混ぜる指にだんだんと息を荒くさせていく。
 先に挿入した指に添わせて兵部は二本目の指を呑み込ませ、ゆっくりと穴を開いた。息を呑んだ皆本の声が、鋭く響く。
 拡げられた穴から、兵部の指を伝うように何かがとろりと滲み出してくる。白濁としたそれが自分が放った精液なのだとわかると、ヒノミヤは沸騰する羞恥に感情を昂らせた。
「兵部っ!」
 悲痛なその声が、自分が感じる恥辱のせいなのか、皆本への無体を止めさせたかったからなのか、ヒノミヤには分からなかった。ただ、兵部がそれ以上何かをするのを、恐れていた。
 だが、ヒノミヤの声が兵部に届くことはない。
「溜まってたのかい? まあずっと海の上にいたんじゃ、発散する機会もなかっただろうしね。丁度良かったじゃないか」
 話す兵部の口振りは世間話でもしているかのように平淡としていて、だからこそ、行動の異常性が際立つ。
 兵部は皆本が尻から洩らす精で指を濡らして、深く挿入し、小刻みに揺さぶり、大胆に掻き混ぜ、卑猥な音を響かせて、内奥の締まりを確認する。
「くぅ……う、ああぅ……っ」
 内奥で蠢く指に皆本が上擦り、うろたえた声を零すが、官能がくすぶり続ける身体は尻を震わせて兵部の指を締め付け、反り返った欲望から透明な雫を垂らしていた。
「皆本クンのここは気持ちよかっただろう? 最初はただがっついて締め付けるだけだったんだけどね。何度も教えてあげるうちに上手に咥えられるようになったんだ」
 苦労したよ、と、その末に得られた成果への喜びを滲ませて、兵部はヒノミヤが熱く視線を注ぐ穴を拡げた。蕩けた肉襞が指の動きに従って口を開け、物欲しそうなヒクつきを見せる。
 ヒノミヤはそれに、つい先程味わったばかりの肉の蠢きを思い出す。快楽に戦慄く粘膜がうねり、精を搾り取ろうときつく絡み付いてくる――
 蘇る官能にヒノミヤは慌てて振り払うように首を横に振り、兵部と皆本から視線を逸らした。だが、俯いた視界に移り込んだ、頭を擡げ始めた欲望に、泣きたくなる。こんなことならば適当に処理しておけばよかったのか。
 正直な、若い性欲に気付いた兵部が、小さく笑い声を零し、指を引き抜いた。そのヒノミヤの精に濡れた指を皆本の顔に近づけて、浅く呼吸する唇を抉じ開ける。
「んうっ」
 舌を引きずり出された皆本が苦しげに呻き、震える舌先を兵部の指に押し当てた。
 丹念に、子猫がミルクを舐め取るような仕草で、皆本は兵部の指を何度も舐め上げていく。舌で掬ったヒノミヤの精を口腔で唾液と絡め、喉を上下に動かしてそれを飲み込む。
「はぁ…っ」
 深く、溜息を漏らした皆本の切ない表情が妙に艶めかしく、気だるげに持ち上げられた目と合った瞬間、ヒノミヤは皆本から目が離せなくなっていた。
 ヒノミヤに見つめられていることに気付いた皆本が、羞恥に顔を歪めて俯く姿に言い表し難い感情が込み上げてくる。
 小さく震える姿には庇護欲じみた憐憫が沸き立つのに、欲望を滾らせた卑猥さに嗜虐欲を刺激される。欲を疼かされる。
 たまらず低く唸りを零したヒノミヤに、兵部がおかしそうに唇を歪めた。ただ一度、指を鳴らす仕草を見せた直後、皆本の四肢を拘束していた戒めが解かれ、自由となった手足に皆本が小さな呻きを洩らす。
 長時間拘束されていたせいか、侭ならず痺れたままの手足をだらしなく伸ばした体勢で、皆本は動かない。だが少しでも身体を隠そうと身を捩ったのは、僅かでも残る理性のせいか。
 そんな皆本を愛おしむような手つきで兵部は強張った頬を撫で、そして顎を強く掴んだ。余程の力で握られているのか、皆本の顔が苦悶に彩られる。
「ほら、皆本。君のせいでヒノミヤが可哀想なことになってるぜ? 責任取ってあげなよ」
 くすくすと笑って、兵部は皆本の視線をヒノミヤへと向けさせる。面白がる視線と、苦痛に歪められた視線を浴びて、ヒノミヤは居た堪れない。
 まるで皆本の視線が自分を責めているように感じられて、いっそ泣きたくもなってくる。
 単なる生理現象だ。目の前に猥褻なものがあれば誰だって興奮してしまうだろう。若ければ、快感を覚えたばかりでは尚更仕方がない。
 そう胸中で言い訳を紡いでみても、結局それはヒノミヤが皆本をそういう対象として見てしまっているということだ。今は敵同士であるとか、同性であるということも抜きにして。
「……そ、んな、顔をするな。ヒノミヤ」
 息を詰まらせながらも吐き出された声に、ヒノミヤは呆然とするように皆本を見つめた。
 痺れが抜けないのか、それとも力が入らないのか、縋るように皆本の腕が伸ばされる。憐れと感じたその腕をヒノミヤが捕まえてやれば、兵部から離れた身体が胸に凭れた。
 胸元で熱く吐き出された溜息に、どうしようもなく鼓動が跳ねる。
「皆本……?」
 身体を支えてやりながら、恐る恐ると呼びかければ、皆本は緩慢な動きで顔を上げる。背後の兵部を一瞥して、視線はすぐにヒノミヤを向く。
 頬を撫ぜる手は同じ男の武骨さを感じさせるものだというのに、どこか艶めかしい。
「君を巻き込んですまない。目を閉じて、好きな女の子のことでも考えていてくれ」
 何故、被害者である皆本が謝る必要があるのか。
 ヒノミヤが愕然としてその言葉の意味を考えていると、不意に皆本の姿が視界の下へと消える。そして腰に腕が絡められ、下肢に熱い息を、感じた。
「なっ」
 慌ててヒノミヤが身体を見下ろせば、口を開き、舌を伸ばした皆本がヒノミヤの欲望にそれを絡めていく姿が見えた。熱い舌が欲望をなぞり、静かに口腔に消えていく。
「くっ」
「ん……ふっ…」
 深く陰茎を呑み込んだ皆本の口腔は、熱くて、気持ちがいい。股間に顔を埋めて愛撫される欲望に、ヒノミヤもたまらずに声を洩らしてしまう。
 同情心を抱きたくなるほど、皆本の愛撫は慣れている。本来ならば皆本だって、きっと誰かにこうしてもらう立場だったはずだ。皆本の性癖など知らないのだから、想像でしかないが少なくとも、会って数回、良く知りもしない男のモノを咥えるなどとは、縁遠かったはず。
 だが皆本は、今こうしてヒノミヤの欲望を懸命に己の口を使って育てている。健気で憐れだ。けれど、それを止めさせることも出来ず、寧ろ気持ちいいと、皆本の愛撫に欲望を高めてしまっている自分に、彼を憐れむことが許されるのだろうか。
 皆本はヒノミヤに「巻き込んですまない」と謝った。
 でもその謝罪を、ヒノミヤは素直に受け取ることが出来ない。いっそ、謝らないでいて欲しかった。そうすれば自分は、自分の思いに気付かずにいれたかもしれないのに。
 皆本の助言は無意味だ。

 目を閉じても、浮かぶのはもう、快楽に喘ぐこの男の姿でしかない。

「――っ」
 ヒノミヤが己の中に生まれた希求を自覚した、その刹那。
 背中を鋭利な刃物で撫で上げられるような殺気を感じて、ヒノミヤは閉じていた瞼を持ち上げた。この場で感じるもうひとつの視線の正体など、わかりきっている。
 ゆっくりと視線を皆本から兵部へと移して、ヒノミヤはひゅっと喉を鳴らし、息を呑んだ。
 剣呑、などという言葉が柔和に感じられるほどの、鮮烈な眼差し。
 何故兵部にそんな目を向けられなければならないのか、ヒノミヤには思い当たる節など何もないというのに、本能で悟ってしまう。
 この、仄暗く、敵意を隠しもせず向けられる強い感情は、嫉妬だ。嫉妬をする、男の目だ。
 しかしどうして兵部がそんな目をするのか。ヒノミヤはわけもわからずうろたえ、だがねっとりと欲望に絡む舌の感触に身体を震わせて、理解する。
 兵部はそれが自分が仕掛けたことであっても、皆本が自らヒノミヤの熱を慰めていることが気に食わないのだ。それだけではなく、ヒノミヤがそれを受け入れ始めていることにも。
 なんと厄介な。
 玩具が自分の手の内で動くには問題ない。主導権はまだ兵部にあるからだ。だが、そうでありながらも玩具が己の意志で動き出すのは気に入らない。それが、自分のモノであるべきはずのものが、他に意識を向けていれば尚更。
 自らが仕掛けた現状に嫉妬するなど、馬鹿げている。なのにそれを笑うことは出来ない。――兵部はそれすら、理解している。
 自分が嫉妬するであろう状況を自ら作り出す、そこにどんな意味があるのか。その答えなど、知りたくもない。知りたくもないが、巻き込まれたヒノミヤとしては、文句のひとつやふたつも言いたくなる。
 だから、皆本は謝ったのだろうか? 兵部が作り出そうとしているものを理解して。
 わからない。
 兵部と皆本が、いったい何を思ってこんなことをしているのか。
 わからないから、ヒノミヤは考えることを放棄して、兵部の嫉妬を浴びながら、皆本の奉仕に意識を向ける。これが終わらなければ、解放されることはない。
 しかし。
 それまで傍観の姿勢だった兵部が動く。皆本の四肢を拘束していた紐を拾い上げて、座り込んだ皆本の腰を掲げさせ、その手は股間を弄る。
「んっ、んんぅっ」
 嫌がる皆本のことなど無視し、しばらくして兵部が弄る手を離したときには、その手に握られていたはずの紐は消えていた。ヒノミヤの欲望を含んだせいだけではなく皆本は呻きを洩らして、身体を捩る。
 その腰を掴んで、兵部は何度か擦り上げて勃起させた欲望を皆本の中へと捻じ込んだ。
「ぐうぅっ」
 身体を下から押し上げるように貫かれ、皆本の口腔深くまでヒノミヤの欲望が呑み込まれる。息苦しさにきつく締まる喉に、ヒノミヤも堪えきれずに声を洩らす。
「よかったな、皆本。上も下も、君の好きなものでいっぱいだ」
 おかしそうに笑う兵部に腰を揺らされ、皆本の身体も揺れ動く。それまでは積極に絡みついてきていた舌の動きが覚束無くなったのは、内奥を刺激する兵部に感じているからか。口腔の熱が、上がった気がする。
 腰に縋る手の感触を、何と表せばいいのか。
 皆本の内奥を突いていた兵部が短く息を吐いて、皆本の髪を鷲掴みにする。上向かされた顔に、咥えていたヒノミヤの欲望が抜け落ちる。
「君がヒノミヤをイかせることが出来れば、君もイかせてやる。それまではこのままだよ」
 囁きは甘く、残酷だ。
 皆本の顔がやるせなさに歪む。そんな顔を向けられずとも、ヒノミヤとて一刻も早くこの状況から一抜けしたいというのに、皆本に高められる欲望が、冷視する兵部に萎える。
(――なんの拷問だよ! 俺がいったい何をしたッ!?)
 兵部に意識を傾けず、さっさと終わらせることだけに集中しようとしても、内奥を犯される皆本が快楽に戦慄くばかりとなればヒノミヤにはどうすることも出来ない。
 いや、皆本の口に突っ込んで頭を揺さぶってやればいい。それで昴った精を吐き出して終わりだ。でもそれが出来ない。今更非道なことが出来ないわけではない。だが兵部からかけられる無言の圧力とも言うべき視線に、身動きが取れない。
 情けないと謗られようと、ならばこの絶対零度の視線を浴びてみろと叫びたい。知りたくもなかった扉が眼前に現れる。
 まるで喉元にナイフを突き立てられているような、死が目前に迫る緊迫感の中で、絶えず与えられ続ける快楽が感覚を麻痺させてしまうのか。殺されるかもしれないという恐怖が、官能のスパイスへと変わり果てる。冷ややかな視線に射られるたびに、ぞくりと、背中が粟立つ。
「あ……くそっ、冗談じゃねぇぞ、兵部――!」
「いったい何のことかな、ヒノミヤ」
 クッと喉を鳴らし、おかしそうに笑う兵部をヒノミヤは睥睨する。昴りが皆本によって深く呑み込まれ、音を立てて先端が吸われる。
 もう少しでようやくイけそうだ。
 幾度と押し寄せてきた恍惚の中で、更なる高みに手が届きそうになる。だが、またそれを引き離すように、兵部が皆本を責め立てる。
 兵部は皆本を焦らし、嬲っているだけだ。でもそれは同時にヒノミヤに対してでもある。
 自分は、兵部に押さえつけられるだけの玩具ではない。
「――ぐぅっ」
 兵部の圧力を振り払い、ヒノミヤは離れていきそうな皆本の頭を掴み、揺さぶる。遠慮や気遣いを忘れて、でも自分の快楽を追いながら、早く終わらせることは皆本にとっても楽ではないかと考えた。
 ――結局それは、それすらも兵部に踊らされた、浅はかな思考だったのだけれど。
 ヒノミヤが皆本の喉奥へと精を吐き出し、後味の悪い恍惚に乱れた息を吐いていると、クッと、殺し損ねた笑いが響いた。
 胡乱に兵部を見遣れば、兵部はヒノミヤへと一瞥を返した後、皆本の後ろ髪をくすぐった。
「あーあ。君が早くイかせてあげないから、彼、自分でやっちゃったね。――継続決定」
「はっ?」
 思わず、と声を挟んでしまったヒノミヤに、兵部が愉快そうに視線を向ける。
「だって僕は皆本クンがヒノミヤをイかせたら――と言ったはずだけど? さっきは君が皆本クンを使って勝手にイったんだろ。だからノーカン」
 そんな……、と零れかけた言葉を、ヒノミヤは飲み込む。皆本がどんな顔をしているのかなんて、ヒノミヤには確かめることなど出来るはずもなかった。
「今度はしっかりやれよ? 皆本クン、ヒノミヤ」
 決して笑ってなどいない、冷ややかで仄暗い瞳に見つめられて、ヒノミヤはただ、静かに身体を震わせた。


 時折思い出したように痙攣を起こす身体は、どうしようもない憐憫と、同情を誘う。意図せず加害者となってしまったヒノミヤは余計に、そこに罪悪感を抱く。
 だが主犯たる人物はそんな皆本に至極満足そうな表情を浮かべて、鼻歌すら歌い出しそうな雰囲気を見せる。
「――何考えてるんだ、お前」
 ようやくとヒノミヤが絞り出した声は、掠れていた。精も根も付き果てた、という表現が似合いそうな憔悴した顔色で兵部を見つめる。対する兵部は齢八十も過ぎた老体だというのに、生き生きとしている。
 自分達の精を吸ったのか――なんてバカバカしい考えすら頭を過ぎる。それだけ、頭が回らないのだ。色々と。何も考えたくなくて。
 それでも訊ねてしまったのは、だから、であるのか、ここまで巻き込まれてしまったがゆえの、好奇心か。
「何って、それを君に話す必要が?」
 ある程度の予想はしていたといえ、悪びれた様子もなくはぐらかされると、憮然とした気持ちになる。
 顔にも出ていたのか兵部は僅かに唇を綻ばせ、ぐったりと意識を失くした皆本へと視線を向けた。そうして伸ばした指先が、慈しむように皆本の乱れた髪を撫でる。
「まあしいていうなら――」
 そうして吐露された感情は、ヒノミヤに対する牽制であったのか。
 兵部の独白を聞き終わり、呆れを隠そうともしないヒノミヤに兵部は自嘲するように唇を歪める。
「気が向いたらまた誘ってやるよ。気持ちよかっただろ?」
「断るッ!」
 間髪を入れずに答えを返したヒノミヤに、おかしそうに笑う兵部の声が部屋に響き渡った。
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