解き放たれる、無限の可能性

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  禁じられた遊び-01  

 カタストロフィ号に潜入して、幾日が過ぎたか。日を重ねるごとにヒノミヤはパンドラの一員として、少しずつではあるが認められつつあった。この船に乗る者達は、大半が脛に傷持つ者か、何かしらワケありの者ばかり。ゆえに、ヒノミヤの素性を嬉々として探ろうとする者はいない。詮索されることの不快さを理解しているのだ。
 能力なし――ESPを持ちながらも使えるのは無効化能力と、傍に置くには些か不利な人間であっても、この平穏な船の上でヒノミヤの能力が活躍する場などありはしない。
 超能力者といえども、皆、ただの人間に過ぎないのだから。それを強く望む者しかいないこの〈家〉の中では、同じ超能力者であるという絆があれば、それで十分だった。
 その〈家〉に溢れる温もりが、ヒノミヤにはくすぐったくて、居た堪れなかった。無条件の親しみの目がヒノミヤを責めているようで、被害妄想に駆られる。自分は、彼らを騙してこの場にいるのだ。
「くそっ」
 ヒノミヤは苛立ちを紛らわすように鋭く吐き出すと、子供達の賑やかな声の溢れる甲板を後にした。船内へと戻り、当てもなくさまよい歩いて辿り付いたのは、立ち入る人間を制限したエリアだった。
 無意識にでもつい先日許されたばかりのエリアに足を踏み入れていた事実は、余計にヒノミヤを苛立たせる。ヒノミヤが得た情報など、ほんの些細なものばかりだ。こうして立入禁止区域に入れたのだとしても、やはりセキュリティも厳しく、盗み出せる情報は皆無に等しい。
 無力感は、捜査官としてもヒノミヤを半端者だと嘲っているようで、反骨心が疼く。しかし、それが現実だ。
 自分では抗えない大きなうねりに呑み込まれ、ただ流されているだけの現状を否定するには、自分はまだ何もしていない。何も出来ていない。
 それらを払拭するようにヒノミヤはまっすぐに前を見据え、不意にどこからか漏れ聞こえてくる声に気付いた。辺りを見渡してみても、誰の人影もない。となればどこかの部屋から聞こえているのかと、抱いていた警戒を解いたとき、聞こえてくるものが一際大きく響いた。
 苦悶を抱えたそれは誰かの呻き声。――幹部しか立ち入れないような場所で、いったいなにが。
 疑念は晴れずに、正義感というよりも好奇心に押されるように、ヒノミヤは息を潜めて声のする場所を探った。万が一の可能性を考えて、周囲への警戒は怠らずに。
「……っ、………!」
 一般のフロアとは違い、各部屋には防音対策も取られている。声が漏れるはずはないのに、扉を閉め忘れたのか。そんな無防備な人間がいたのか、何らかの原因によって扉がきちんと閉まっていなかったのか。
 歩みを進めるたびに、呻き声ははっきりと――くぐもった声ではあるが、聞こえてくる。同時に、誰かの話し声も。
 そして、ヒノミヤは細く開いている扉を見つけた。声はそこから漏れてきている。
 壁際に身を寄せ、ヒノミヤは一度深呼吸する。そうして逸り出しそうな気持ちを鎮めてから、ゆっくりと、中の様子を窺った。その時不意に、聞こえていた呻き声ではなく、話し声のほうに聞き覚えがあったのを思い出したが、既にヒノミヤは顔だけを覗かせるように、部屋の内部を見てしまっていた。
 照明が目映く灯された室内で、その奥に置かれたベッドの上で蠢く塊。異なる二つのモノが重なっているのだ――と認識した次の瞬間には、ヒノミヤは呼吸すら忘れてそれを凝視していた。
「ああ……、そんなにこれが気に入ったのなら、ちゃんと咥えてなきゃダメだろう、皆本」
「んっ、ぐうぅ…、ぅっ」
 白銀の髪をした男が何やら手元を動かすと、目隠しと口枷をした男がくぐもった声を上げる。胸を張るように大きく身体を仰け反らせて、ボールギャグを含んだ口からだらしなく涎が垂れていた。
 自ら脚を抱えて広げて見せるように右手首と右足首、左手首と左足首が細い布のようなもので拘束され、大きく開いたその間に、男は――兵部は身を置いていた。
 兵部が何をしているのか、こちらに背を向けた体勢では見ることは出来ないが、兵部が手を動かすたびに響く、ぐちゅ、と粘液を掻き混ぜるようなねっとりとした水音におおよその見当がつく。
 皆本、と兵部に呼ばれた男が、手足を突っ張らせて見せる反応が、それしかないと他の選択肢を奪う。
「うう…っ」
 大きく上がった呻きと、ベッドの軋みの生々しさに、ヒノミヤはようやく我に返り、扉脇の壁へと背中を張り付かせた。
 声を漏らさないように静かに深呼吸を繰り返しながら、あまりにも衝撃的すぎる光景に目眩を感じずにはいられなかった。
 ヒノミヤの見間違いでなければ――その可能性も限りなく低いだろう――あれは兵部京介と皆本光一だ。ヒノミヤをこの船へと招き入れたパンドラのリーダーである男と、日本の内務省の人間である普通人の男。ヒノミヤの知る限り、資料の上では敵対の関係にある二人が、何故。
 いやそれよりも、先程の情景はどういう意味なのか。今もなお聞こえてくる皆本の呻き声は、恥辱に抗う声だ。決してそういうプレイを悦んだ声ではない。
(って、そういうプレイってなんだよ、そういうプレイって! そもそもあいつらは男同士――!)
 瞬間、脳裏に蘇ってきた先程の光景に、ヒノミヤは慌てて首を大きく振り乱す。
 男同士でもセックスが出来ることくらい知識として知っているし、デッドロックにいた頃は不本意ではあるが誘われもした。――勿論拒絶したが。それくらいしか、監獄には娯楽がないのだ。
 だがそれを知識の上で知っているのと、実際に目撃するのとでは雲泥の差がある。ましてや、それを行っている二人ともに面識もある。これがたとえば、恋人同士の睦み合いであるならば、それはそれで精神的ショックは強いが見て見ぬ振りも出来た。人の恋路を邪魔するモノは馬に蹴られてしまうのが道理だ。
 けれど、あれはどう見ても一方的な暴行――強姦だ。気付けないでいられたなら気付きたくはなかった。時間を戻せるのならば、関わらずに引き返せと助言したい。……ヒノミヤには、どうすることも出来ないのだから。
 ここで踏み入ったとしても、兵部の不興を買うようなことはしたくない。船から追い出されれば、ヒノミヤに課せられた使命は達成できない。それに皆本も、己の恥辱を他人に知られたくはないだろう。目隠しはされているが、既にヒノミヤと皆本は言葉を交わしたこともある。
 何も出来ないのならば、何も見なかったことにしてこのまま気付かれないうちに立ち去ってしまえばいい。しばらくは兵部の顔をまともに見ることも出来ないだろうが、時間が経てば忘れることも出来るだろう。
 そう、思うのに。
 縫いつけられたように足が動かない。聞きたくもないのに耳は部屋の中の様子を探ろうとする。――瞼に焼き付いた光景が、離れない。
 呼吸が、浅くなる。
「たまらないだろう? 奥まで玩具を呑み込んで、いやらしくひり出す様子がよく見えるよ。皆本クンは、恥ずかしいことをされるのが大好きなんだ」
 耳を欹てて聞き入っていた兵部の台詞に抱く、僅かな違和感。ヒノミヤがその違和感を解き明かそうと意識を働かせていると、答えに辿り付くよりも早く、焦ったような呻きが皆本から上げられた。
 その瞬間、ヒノミヤは靄が晴れるように違和感の正体を掴んでいた。
 急いでヒノミヤが逃げ出すよりも早く、右腕が誰かに捕まれる。大した拘束力もない、弱い力に過ぎないのに、ヒノミヤは手を振り解けない。カラカラに乾き出す喉に口腔に溜まる唾を無理矢理流し込み、喘ぐように息を吐き出す。
 腕を掴んだ手は、強引にヒノミヤを振り向かせようとしない。声も発しない。だからこそ、精神的に追い詰められていく。
 それは覗き見ていた罪悪感か、己に降り懸かる何かへの恐怖心か。
 じっとりと汗ばみ始める手のひらをきつく握り締めて、ヒノミヤは緩慢に背後を振り返った。
「……よォ、兵部」
 吐き出した声は、不格好に掠れていた。唾液が喉に絡んだように、うまく声を発せない。
 ヒノミヤと視線を合わせて、兵部はそれまで掴んでいた腕を離した。普段と変わらぬ飄然とした様子の兵部に、衣服の乱れは見られない。
 上から下へと、知らず探っていたヒノミヤの視線を受け止めて、兵部は素知らぬ態度で首を傾げた。
「こんなところでどうした? ヒノミヤ」
「ただの散歩だ。ずっと海の上にいたんじゃ景色も代わり映えしないし、退屈だからな」
「ふぅん……」
 誤魔化されてくれたのか、興味もなさそうな声を出す兵部に、ヒノミヤは冷や汗を滲ませながら僅かに後ずさった。下手に兵部に探られぬよう、無意識の行動だったが、ヒノミヤがその行動を取った瞬間、つまらなさげだった兵部の顔にたちの悪い笑みが浮かぶ。
 先程の情景のせいか、妖艶とも見える表情にヒノミヤが息を呑んで上体を反らす。その身体にぴたりと、兵部が身体を沿わせ、胸を撫で下ろした手で無遠慮に股間が握り込まれた。
「なっ!」
 そこでようやく、ヒノミヤは自分の欲望が熱を持っていることを自覚する。
 途端に恥ずかしさでうろたえ始めたヒノミヤに、兵部が手を離して笑い出した。
「さすが若いな。声だけで興奮したのかい。それとも見ちゃった?」
 秘密を共有しようとする子供の無邪気さで、兵部が問いかけてくる。動揺を隠しきれないヒノミヤは、それでもそんな兵部の恐ろしさに舌を縺れさせ、返す言葉を失くす。
 沈黙を続けるヒノミヤに、兵部は求める反応が得られないと知るやいなや、浮かべていた笑みを消して踵を返した。肩越しに振り向いた兵部の顔は冷ややかで、その静かな威圧に呑まれる。
「ついてこい。部屋に入ったら、声を出すな」
 それだけを言い放って、兵部は室内へと戻っていく。そのまま、ヒノミヤは逃げ出すことだって可能だったはずだ。
 なのに足は、何かに操られるように兵部の消えた室内へと向かっていた。
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