解き放たれる、無限の可能性

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  曼珠沙華  

 前方から歩いてくるその人影に、ヒノミヤは一瞬身体を強張らせた後、自然体を繕って歩みを続ける。両者が近付くと、二人の歩みは止まっていた。
「皆本はどうした?」
 睨まれている、わけではないだろうが、心の裡まで見透かしてくるような昏い光を宿した瞳に、ヒノミヤは言葉を詰まらせる。
 悪事を咎められる子供のような気分だ。
「……図書室。ずっと付きっきりだったんだ。息抜きくらいいいだろう?」
 どちらが、とはあえて口にしなかったが、兵部はヒノミヤの言い訳に軽く息を吐き出す。――文句をつけようとしたがあまりのバカバカしさに言葉が出ない、というように。
 明らかに見下された態度にヒノミヤもムッと腹が立ちかけるが、言いつけられたことを放棄する罪悪感にか、それ以上の愚考を告げる口は開かない。無言のまま、何かを熟考しているような素振りを見せる兵部に、怖じ気付いているわけではないはずだ。
 自分はまだここでボロを出すわけにはいかない。
 そう考え、ヒノミヤが媚びるように開けた口を兵部が視線で制す。出るはずだった言葉は、口の中でくぐもって消える。
「わかった。ご苦労だったね、ヒノミヤ」
「あ、ああ」
 兵部の口振りは親しげにも労っているようにも聞こえるが、どこか他人事だ。呆れられたか、見逃されたのか。
 飄然と、老獪とした男の真意は相手に悟らせることすらしない。探ろうとしても、線引きがわからない。底が見えない。
 そこに畏怖すら感じてしまうのは、ヒノミヤが彼を探る者であるからなのか。――いや、違う。彼のその限界を窺わせない力を、得体の知れなさを恐れない者はいない。それでもその力が、自分達に揮われないことを、自分達に仇なそうとする者にこそ揮われると知っているから、その強さに恐れながらも惹かれるのだ。
 自分達を守る者だとわかっているから。
 ごくり、と喉が鳴る。それは畏怖か、――渇望か。
「どうした、ヒノミヤ?」
「い、いや……、なんでもない」
「そうかい?」
 薄く、口元に笑みを浮かべて兵部は去っていく。ヒノミヤの様子になど気にも留めずに。
 遠ざかっていく後ろ姿をヒノミヤはぼんやりと眺めて見送り、曲がり角に消えた兵部にひっそりと息を吐き出した。


「ああ、こらっ。図書室では静かにしなさい!」
 扉を開けた瞬間に足下から走り去っていく小さな影達に声をかけて、皆本は溜息を吐く。まさか、敵方の本拠地内でも子守をする羽目になるとは思いもしなかった。
 子供達はそのリーダーの姿を真似ているのか、自由奔放だ。そういう教育方針であるのか、自由であることをその小さな身体いっぱいで満喫しているのか。
 親に見捨てられた孤児。あるいは、普通人に利用されようとしていた子供達。そうした普通には暮らすことの出来ない者達が、このカタストロフィ号船内には保護されている。
 皆本は散り散りに駆けていき、鬼ごっこかかくれんぼか、遊び始める子供達を一人ずつ捕まえていく。遊んでくれる大人がいることが楽しいのか、子供達の元気さは際限がない。それとも皆本が、遊ばれているのか。
 図書室内の拓けたスペースに子供を集めながら、皆本は疲れの混ざった息を吐き出す。それでも子供達は、まだまだ元気が有り余っているのか、賑やかな声は途切れる様子がない。
「絵本読んで!」
 かけっこにはもう飽きたのか、一人の女の子が最後の子供を連れて戻ってきた皆本にそうねだる。断る理由はなく皆本が差し出された絵本を受け取り、少女に合わせていた視線を上げると、大きく目を見開かせた。
 いつの間にか、そこには皆本以外の大人の存在があった。軍服を身に纏った、長髪の男。
「ウツミさん!」
 傍にいた子供が上げた声で、皆本は我に返る。同時に、相手の男も似たような動作を見せる。ぎこちなく笑みを浮かべ、だが視線は皆本から逸らさない。口が、何かを紡ごうと動いたが、声は出ていない。
 頭の先から爪先まで、何かを確かめるように向けられる視線を感じながらも、皆本も同じように彼を観察して記憶を辿っていた。旧日本軍の陸軍制服に、特徴的な長髪。それに子供が呼んだ彼の名前、は。
「――……旧日本軍陸軍特務超能部隊所属、宇津美清司郎」
 皆本の呟きは、彼の下へも届いていた。僅かに目を見開かせて、皆本の下へと歩み寄ってくる。二人の硬質な空気を感じ取ったのか、不安げな顔をする子供の頭を撫でて、宇津美は皆本を眺める。
「君は――」
「皆本です。わけあって兵部に連れてこられましたが、此処に長居をするつもりはありません。兵部もそのつもりでしょう」
 宇津美の言葉を遮って、皆本が話す。きっぱりと言い切る皆本に宇津美は何かを言いたそうな表情を見せたが、すぐにその顔を取り繕う。次に浮かんだ笑みは、幾分か自然さを感じさせるものだった。
「そうか、京介の知り合いか。なら、何かしら考えがあるんだろうな」
 親しげに兵部の名を呼ぶ宇津美に、皆本ははっきりと確信する。どういう仕掛けかと彼の能力を思い出そうとして、皆本は背後を振り返る。
 そこには、兵部が無表情のまま立っていた。
「油断も隙もない男だな、キミは」
「別に僕は――」
 侮蔑の声に反論して、皆本は兵部が向ける眼光の鋭さに言葉を詰まらせる。それをつまらなく見遣って、兵部はその眼光を緩めて子供達へと視線を落とす。
「僕は少し宇津美さんと話があるから、君達は別の場所で皆本クンで遊んでおいで」
「えー! 今来たのに!?」
「少佐も一緒に遊ぼうよ!」
 兵部の言葉選びに頬を引き攣らせていた皆本が、子供に囲まれる兵部の姿を見てそれを何とも言えない顔へと変える。皆本にとって兵部は犯罪者で、悪人ではあっても、子供達にとっては違う。自分を救ってくれた親であり、ヒーローでもあるのだろう。
 子供は正直に、自分が懐いてもいい人間を見分ける。
「あまり兵部を困らせてはいけないよ。兵部の用事が早く終わったら、その分たくさん遊べるようになるだろう? 困らせたら、遊べなくなっちゃうよ?」
 膝をつき、静かに語りかける皆本に子供達は皆本と兵部の顔を見比べる。浮かべられた困ったような笑みに、渋々とせがんでいた手が離れていく。その子供達の頭を兵部が撫でてあげれば、不満そうだった顔にも笑みが浮かぶ。
 矛先を兵部から皆本へと変えた子供達は、兵部の言葉通り、皆本で遊ぼうと入り口へと腕を引っ張り始めた。
 子供達に急かされた皆本が立ち上がり、兵部を見つめて、やはり複雑な顔をする。兵部も同じだ。皆本は助け船を出したつもりはない。兵部も助かったとは思っていない。ただ子供達の目のあるところで争わないことに同意見であっただけ。
 宇津美に対して軽く会釈をした皆本を、彼が呼び止める。
「京介のこと、よろしく頼むよ」
 告げながらも迷いを残したような宇津美の言葉に、皆本が返せる答えはない。
 曖昧に笑む皆本に宇津美は不安げな表情を隠さず、子供達に引っ張られていく皆本をただ眺めていた。


「余計なことだったかい?」
 子供達と皆本がいなくなり、宇津美がそう兵部に問いかけると、兵部は憮然とした態度で宇津美を見返した。
 その姿に小さく苦笑いを零して、
「最初に彼を見たとき、ほんの一瞬だったけどあの人に重なって見えた」
 皆本に重なって見えた姿。
 かつて超能部隊を率いていた、普通人の男。
「彼は普通人だろう? 京介に連れて来られたと言っていたかな。……君が何をしようとしているのかは分からないけれど」
「考えすぎですよ、宇津美さん。僕は普通人が憎い。そしてこの傷に誓った。普通人を根絶やしにすると。それは今も変わらない」
 その生を止めようとこの身に受けた、銃弾。その傷も痛みも、脳髄が沸騰しそうなほどの激しい憎悪も忘れてはいない。忘れられるはずがない。
「その為なら僕はなんだってする。手段は選ばない」
「京介……」
 いずれ皆本も裏切る。かつて自分を裏切った、あの男と同じように。己を信頼する超能力者を殺してまで、己のエゴを貫く。
 所詮はそれだけの価値。存在。――認められていた、わけではない。受け入れられたのではなかった。
 宇津美の見る兵部の横顔は、複雑だ。怒り、悲しみ、憎しみ、諦め、――憧れ、羨望、……寂しさ。幾多もの感情が複雑に絡み合い、混じり合い、それは兵部自身にも己の感情を分からなくさせる。
 だがその感情も、横顔を凝視する宇津美の視線に気付けば瞬きの後に綺麗に隠される。そのあまりにも大きすぎる感情は、いつか兵部自身の心を巣食い、殺してしまうのではないかと、焦燥が込み上げる。
 でも、宇津美の言葉は、声は、兵部には届かない。既に命を失くした者の声など。
 兵部は何のために、皆本という青年を連れてきたのか。――あの男と似ているようで違う存在を。皆本を見つめる兵部の目は、顔は、まるで――
 パタン、と静かに本が閉じられる。同時に、宇津美の姿も陽炎のように姿を掻き消す。
「さようなら、宇津美さん。また今度、ゆっくり話をしましょう」

 種を蒔く。
 いつかそれが芽吹くように。
 それがかたく押し固められた土台であっても。手ずから蒔き続けよう。たとえ爪が剥がれ、血を流そうとも。
 自分と同じ悲しき運命を背負う少女のために。
 彼女が笑みに綻ぶように、何度も何度も、種を蒔こう。
 彼女を守るための、ヒガンの花を。
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