解き放たれる、無限の可能性

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  introduction  

 ――それを聞いた瞬間、真木は自分の眉間に皺が寄るのを感じていた。

 眼前の、一人掛けのソファに深く身体を預けたボスからは普段と変わらぬ様子しか窺えない。だがその肢体が纏う空気は、ピリピリと張り詰めている。
 感電を起こしてしまわないようにしっかりと両足を地につけ、高圧電流を流す鉄線に挑むような慎重さで、真木は疑問を口にする。
「デッドロック、ですか……?」
 耳に覚えのない言葉だ。
 自分でも仕入れることの出来なかった情報を、このボスは一体どこから仕入れてくるのか。
 己の未熟さを感じながらも、ならばこのボスに見合うほど精進すればいいだけだと、真木は拳を握る。
 それまで伏せられていた兵部の瞳が、真木を一瞥する。ちらり、と向けられた視線は硬く握り締められた真木の拳を見ていた。固く結ばれていた唇が、僅かに緩む。
「そう。デッドロック。超能力者を収容する刑務所のひとつ」
 ピクリ、と真木の片眉が反応する。
「何も珍しいものじゃあないが、ちょっと気になるものがあってね」
 エスパー犯罪者は、通常の刑務所では収監しておくことが出来ない。相応の対策を必要とし、また刑務所と言う特異な場所ゆえの問題を事前に回避するためにも、専用の収監施設が用意される。
 折角捕らえても、ESPを使用され脱獄されれば意味はない。
 かつて兵部を捕らえていた地下監獄のことを思い出し、真木の表情が険しく歪む。――嫌な予感がする。それも、確実に現実となりえるような。
 胸騒ぎにも似ているだろうか。
 自分はこれを、よく知っている。
「……何をなさるおつもりですか」
 真木の口から出たのは、絞り出すような、苦渋に満ちた声だった。
 それに気付いて真木は己の失態に顔を歪める。兵部は僅かに目を見開かせた後、真木に向かって微笑んだ。
 兵部の纏う雰囲気が、僅かに和らぐ。
「なに、ちょっとした暇潰しだよ。身体も動かさないと鈍っちゃうからね」
「では私も同行します」
 はっきりと、告げた真木の真剣な眼差しに、兵部の浮かべた笑みが不満げなそれへと変わる。
「えー……、お前と一緒だと小言が多いからやだ」
「やだ、ではありません。それに私だって好きで言っているのではなく、貴方がそれなりの落ち着きを見せていただければ」
「それ長くなる?」
 あっけらかんと言葉を遮って説教の長さを訊ねてくる兵部に、真木は続けようとした言葉を詰まらせ、咳払いをする。
「……、とにかく。一人では行動なさらないで下さい。探す苦労も少しは――」
「わかったよ」
 再び始まろうとした真木の小言を遮って、兵部が軽く両手を挙げた。
 そのまま肩を竦め、しょうがないと溜息を吐き出す。
 その姿に真木も細く息を吐いて、では、と話を続けようと口を開き、
「じゃあ桃太郎を連れて行く。それなら構わないだろう?」
 兵部の妥協案に、再び言葉を呑み込まされる。頭痛まで、し始めているようだ。
 軽く首を振った真木に兵部が不機嫌な顔を見せ、今にも逃げ出してしまいそうな気配に真木が慌てて言葉を発する。
「っ、わかりました!」
 瞬間、ニヤリと笑った兵部を真木は見逃さない。
 やられた、と感じても、一度飛び出した言葉はさすがに真木にもどうしようもない。それに一度言った言葉を撤回するなど、真木には出来なかった。
 それをしようものなら、この気紛れなボスにネチネチからかわれ弄り倒されるのがオチだ。それでなくとも、この失態を知った弟分にからかわれる未来が自分を待っていることなど、予知能力のない真木にでも分かりきっている。
「失礼なこと考えてないかい、真木?」
「……いえ」
 胡乱な眼差しに短く切り返して、真木は息を吐く。
 同行者に名指しされた桃太郎も、飼い主――という間柄でもないが、付き合いの長い兵部に似た気質の持ち主だ。あまり頼りにはならないが、だからこそ、兵部も無茶はしないだろうと真木は思い直す。
 兵部は超能力者を、仲間を見捨てられない。
 いくつか兵部不在時の措置について話を詰めて、真木はその場を辞した。
 部屋から出れば、自然と溜息が洩れる。
 緊張から解放されて、ではない。
「――まったくあの人は」
 もうほんのちょっとだけでも、自分の身体を気遣ってくれればいいのに。
 いつだって、誰かの、超能力者の為に飛び回り続ける。時には自分の身すら省みずに。
 今はもう、ただ待つだけだったあの頃とは違うのに。
 それらしい理由をつけては、自分だけで解決しようとする。一人で汚いものを抱え込もうとする。
 自分はまだ、あの人に守られる存在でしかないのか――?
「いつまでも子供のままだと思うなよ、ジジイ」
 ならば、もう兵部の庇護を必要とする子供でないことを見せ付けてやればいい。幸いにしてそのための頭脳も、肉体も、あの人に与えてもらった。
 真木は己の手のひらを見下ろすとそれをきつく握り締め、真っ直ぐに前を見据え、歩き出した。


「少佐ぁー、真木さんがさっき少佐のこと――」
「うわぁぁぁあああっ!?」
 真木は慌てて前に歩き出した足を止め、いつからそこにいたのか室内にいる兵部に声をかける葉の襟首をむんず、と掴み上げた。にへれ、と向けられる、怒りを緩和させようとする崩れた表情は、しかし逆効果だ。
 彼の前途は、いつだって多難である。

□ ■ □

 なんとも頽廃した雰囲気だ。
 黒い学生服に身を包んだ青年は、唇を歪めて一歩を踏み出した。
 するとどこから現れたのか、不審者に気付いた銃を携行した男達が彼を囲い込む。
「何者だ!」
 威嚇する銃口を一瞥して、僅かに口角が上がる。
「超能力も使えぬ普通人などは、お呼びじゃないけど」
 青年の口から吐き出された、素気無く億劫そうな台詞。
 カッ、と怒りに目許を染め上げた男を、青年がひどく愉快げに見つめる。
 その眼差しに更に煽られ、右腕を振り上げた男に、青年の双眸がスッと眇められた。
 鎌首を擡げた蛇がチロチロと赤い舌を出して、相手を挑発する。

 男の振り上げた拳は、無抵抗な青年の頬を容赦なく鈍く抉った。


「ん……?」
 ぼんやりと身体を横にしていた青年が、外の喧騒に気付き閉じていた片目を開く。
 しばらくの間外の喧騒に耳を傾け、他の囚人達がざわめきだす様子を青年はただ眺めていた。
「気概のある新入りでも来たのかね」
 おかしげにそう呟いて、青年は囚人の野次の増えた喧騒も気にすることなく、静かに瞼を閉じた。

 彼ら二人の邂逅まで、あと僅か――……
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