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  天邪鬼の恋  

「……どうして、お前は」
 いいかけて、皆本は言葉を躊躇うように口噤む。捕まれた手を振り解こうとして、けれど強い力でギリギリと握りしめられる。
 それでも兵部の顔は飄然としたもので、その手の強さとのギャップに皆本はそのまま声を失ってしまう。
「なに? 言いたいことがあるならはっきり言えよ」
 煮えきらない態度を見せる皆本に痺れを切らすように、兵部が笑顔で追い詰めてくる。表面上はにこやかなのに、その目は皆本を逃がす気などないのだと言っている。
 皆本はそれに半身を下がらせ、だがどこにも逃げ場などありはしないことに気付く。――逃げたとして、結局何も変わりはしないということも。
 だったらここで下がるよりも一歩踏み込んでしまった方が建設的なのではないだろうか。きっかけは既に皆本自身が作り出した。あとはそれをどうするか。
「どうして、お前は――」
 発した声は再び宙に置き去りにされる。
 何を言おうとしているのか、何を言いたかったのか唇を数度動かして試みて、だがそれが言葉として声と成ることはない。
 悔しさに皆本の顔が歪み、足下を睨みつける。
 兵部に一言言ってやりたい感情はあるのに、それを言葉とするのが難しい。それはきっとあまりにも単純で悩む必要などありもしないものだけど、どうしてそれを言葉にすることができないのか。
 俯いたままの皆本の頭上に、兵部の溜息が降ってくる。呆れた、仕方がないとでも言いたそうに。
 たまらずムッとして顔を上げた皆本を見て、兵部が掴んでいた手を離した。
「――……どうして、お前は僕を振り回すんだ」
 それは本来言いたかった言葉とは違うけれど。
 零れてしまった言葉は飲み込めない。
 これを尋ねたかったことがないわけじゃない。
 皆本がまっすぐに兵部を見据えると、兵部はやれやれと溜息でも吐きそうな仕草で肩を竦めた。
「そんなの、面白いからに決まってるだろ」
 臆面もなく告げられた人でなしの台詞に、皆本は眉を跳ね上げる。甘い言葉を期待していたわけじゃない。だが面と向かって「面白いから」などという理由にもなっていないような理由を語られるのも腹立たしい。
「文句があるなら。どんな理由なら納得した?」
 ――どんな理由なら。
 どんな理由でも、きっと皆本は納得しない。その言葉にありもしない裏を読んで、悪意を決めつけて、それは皆本を不快にする言葉だと眉を顰めても、決して皆本を害する言葉ではないと――理解している。
「どんな理由でも、僕を振り回していい理由になるわけないだろ」
 そもそも何故「皆本を振り回すこと」が前提なのか。
 それに気付いて文句を返せば、兵部がふっと楽しそうに笑う。嫌みさも何もない、自然と零れたような笑い。
「嘘つき」
「……何がだよ?」
「気付いてないならそれでもいいけど――」
 トン、と軽く胸を突かれる。
 強い力であったわけでもないのに、皆本の体がぐらりと揺らいだ。
「好きだろ? 振り回されるの」
 そんなことあるわけがない、と強く言い返そうとした言葉は兵部の唇に塞がれた。大きく見開いた視線の先で、兵部の目が楽しそうに愉悦を孕む。
 馬鹿馬鹿しいと態度で示し、皆本が身を引こうとすれば腰に巻き付けられた腕に強く抱き寄せられる。体を捩って抜け出そうとしても、皆本を捕らえた腕は易々とは解けない。
「僕がどうしようもない人間みたいな言い方はするな」
「実際、そうじゃないか。困ってるようで、本当は困ってない。振り回されることを楽しんでる。――ほんと、たちが悪い」
 下から覗き込むように見つめてくる兵部が、くすくすと楽しそうに笑う。
「僕はお前の、その望みを叶えているだけだ。まあ、僕もそれを楽しんでることは否定しないが……、困ってないならいいじゃないか」
 困ってないから困ってるんじゃないか。
 咄嗟に言いかけた言葉を飲み込んで、皆本はぐっと眉間に皺を寄せる。見透かされて、振り回されて、――こんな下らない悩みまで抱える羽目になって。
 それでもそれが「嫌」ではなくてただ「困っていない」だけだから、本当に「困る」。
 深く溜息を吐き出して兵部の肩に額を預けると、抱きしめる腕に強く力が入った。そのお返しに、皆本もそっと兵部の背に腕を回す。
「ああほんと、どうしようもない坊やだ」
 呆れたような、だがどこか嬉しそうなその声に、やっぱり皆本は困ることができなかった。
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