目次

  殉愛  

 ダークネスナイトはそれを、ただ呆然と感じていた。首筋に感じる生暖かい感触。湿り気を帯びてぬめった何か。皮膚を吸い上げる、ちくりと刺すような痛みに、僅かに体が揺れ動く。だがそれはただの反射運動で、ダークネスナイトがそうしようと思って揺らしたわけではない。
 胸倉を掴んでいた手は離れず、ただ首筋に埋まっていた――ダークネスナイトの目を惹きつけて止まない銀色が、距離を取る。
「君は僕のなんだろう? 僕の所有物と自負するくせに、僕から離れられないくせに余所見なんかするんじゃない」
 告げられた言葉は傲慢で不遜。拒絶されることも、否定されることもまったく疑ってはいない高潔なその姿に、唇は無意識に彼に恭順していた。
「……はい。兵部。我が主」
 胸倉を掴む兵部の手を、ダークネスナイトはそっと包み込む。そして口付け、痕を残されたのだろう自分の首筋を愛しく撫でる。そこに証があると考えただけで体が痺れ、吐息は恍惚に濡れていた。
 導かれるまま、まるで生娘のように恥じらいを抱き、何もできないままベッドに組み敷かれる。服に手をかけられてようやく夢見心地な気分から目覚める。これは都合のいい夢でもなく、現実だ。
 ふつりと沸いてくる実感に、〈自分〉はどこまで許されるのだろうかと、子供じみた浅ましい欲が頭を擡げる。
「〈私〉を抱くのか? 兵部」
「ああ。抱いて欲しかったんだろう? 僕に」
 見透かされている。知られている。
 これまで向けてきた情動も想いも何もかもを知った上で、挑発される。それに乗せられていいものなのか、ダークネスナイトが考えたのは一瞬にも満たない時間だった。
 競うように服を脱がせ、唇を貪り、触れることを許され、素肌を暴き出す愉悦にさえ体が震える。暴かれた欲望が熱く滾った姿を見せつけていることに対して、兵部は驚くように目を見開かせ、笑う。とても楽しそうに。
 その姿にダークネスナイトも嬉しくなって、彼の欲望を弄る。卑猥な手つきで兵部を求め、熱を漲らせて、高まる鼓動を抑えられない。
「いやらしい男だな、君は」
「は、ぃ……っ」
 嘲る言葉にすら鼓動が震え、熱が上がる。自ら腰をすり寄せると薄く笑われ、手を剥がされた。あ、と零れた声に兵部がおかしそうに笑い、ダークネスナイトの体に手を這わせ始める。
 焦らすように触れるその手つきに、体が緊張にかたくなる。期待と不安が綯い交ぜになったように兵部の指先に神経が集中し、より敏感にその動きを感じ取る。
「ふっ。まるで処女のような反応だな」
「……処女、ですから」
 肉体は同じ〈皆本〉のものであっても、今の精神は〈ダークネスナイト〉のもの。愛する至高の君に触れられていることに逐一歓喜する、浅ましい犬のものだ。
「そうだったな……。ならば、どういう風に抱いてやろうか」
 顎を捕まれ、顔が近付く。それだけで息は弾んで、胸が苦しくなる。だが何か答えなければと急き立てる感情に従って、口を開く。
 自分はこの男の犬だ。所有物だ。答えは決まっている。
「あなたの好きなように……」
 吐息を熱くして、濡れた唇で囁く。すべては彼のもの。どう扱おうとも彼の自由だ。ダークネスナイトに否やはない。兵部に与えられるものすべてが、たとえそれが痛みでも苦しみでも、悦びとなる。
 しかし。
 スッと醒めた表情で身を起こした兵部に、ダークネスナイトは呆然とする。
「興醒めだな。僕は自慰をするつもりも、人形遊びをするつもりもない」
「っ」
 離れていこうとする兵部に、ダークネスナイトは慌てて追い縋る。
「待て……! 違うっ! 私は……あなたに、兵部にひどく抱かれたいっ」
「……それが望みか?」
「そうだっ」
 何を向けられてもそれはダークネスナイトの悦びだ。けれど、兵部に失望されることだけは、その目に映らなくなることだけは、考えただけでも心が凍えそうになるほどの――恐怖だった。
 再び体を組み伏せられて、安堵する。だが縋るように見つめてしまうのをやめられない。苦笑する兵部に、胸が切なくなる。
 耳朶を打った呼気に、息が詰まる。
「安心しろ。――望み通り、ひどく抱いてやる」


「あ、あぁ……っ、いやぁ」
 宣言通り、ダークネスナイトの望みのままに、兵部はひどくダークネスナイトを抱いた。
 しかしそれは、ダークネスナイトが願ったものとは違う遣り方で。
 ダークネスナイトは、乱暴に扱われることを考えていた。欲望のままに滾らせた熱をぶつけ、気遣いなどなくてよかった。抉り穿たれ、性欲を処理する穴でよかったのに、兵部はそうしなかった。
 泣き出したく――逃げ出したくなるほどに体を蕩かされ、時間をかけて兵部を受け入れられるように開かれて、指ではなく兵部が欲しいのだと泣いて懇願するまで、愛撫を繰り返した。
 繋がっても兵部は強引であれど乱暴ではなく、ダークネスナイトに兵部を貪らせた。気を狂わせたくなるほどの快楽の中で、ダークネスナイトは兵部を酷い男だと詰りたくなっていた。そんなことはとっくに知っていたけれど、改めて兵部の酷さを――優しさを思い知らされた。
「泣くほど嫌かい? こんなに締め付けて離さないくせに」
 苦笑混じりの面白がる口振りに、ダークネスナイトは兵部を睨む。
「嫌だっ、こんなひどい――」
「ひどく抱いてほしい、といったのは君だろう? 僕はその通りにしているだけだ」
 気付かれている。優しくして欲しいと願いながらもそれを乞えないダークネスナイトの弱さを。許されざる存在に甘んじていたいダークネスナイトの逃げを。欲しながらも欲せない矛盾も何もかも、ダークネスナイトの中にあるすべてを。兵部は知っている。そこにある本質はただ、兵部に愛されたいのだというただひとつの願いしかないことを。
「ひどい、男だ……。あなたは……」
「でも好きなんだろう?」
 傲慢に笑う兵部に、ダークネスナイトは観念する以外のすべを知らない。
「違う……。好きという言葉では足りない。愛している。私の愛も忠誠も、心はすべてあなたに捧げている――」
「ああ。受け取ろう。君の愛も忠誠も、心ごとすべて、君は僕のものだ」
目次

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system