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  てのひらに宿る想い  

 つけたままにしていたテレビから流れてきた声に、皆本は思わず髪を乾かす手を止めていた。流れている映像は、何かのドキュメンタリー番組だった。
 深夜徘徊を繰り返す青少年たちと向き合う熱血刑事……、確かそんな内容だっただろう。
 その中で不意にナレーションが告げた言葉が、皆本は気になって仕方がなかった。

『手をポケットの中に入れたまま出そうとはしない少年。それは他人へと心を開かない、誰も信用していないという合図――』

 この言葉を聞いた瞬間、脳裏に過ぎったのは、一人の男の姿だった。
 皆本よりも遥かに年上で、けれどその容貌は幼く、飄然として、まったくといっていいほど掴み所のない男。皆本を悩ませる大きな種であり、相容れないとすら断言できる。
 親しくなれるとは、皆本も考えていない。
 ……こんな関係になるなど、思いもしなかった。
「なにぼんやりと突っ立っているんだい?」
 背後から声をかけられ、皆本は我に返るとリモコンへと手を伸ばしてテレビを消した。部屋の中に静寂が降り、気まずさを払うように皆本は兵部を振り返る。
 兵部はじっと皆本の顔を見つめた後、軽く首を傾げるようにしながら傍のベッドに腰を下ろした。
「もしかしてまだ怒ってる?」
 窺うように聞いてくる兵部の声は殊勝ではあるが、どこかで楽しそうでもある。
 皆本はむっとして兵部を見下し、兵部が腰を下ろした隣のベッドに座った。横目で見つめてきた兵部がおかしそうに笑みを浮かべたのが、頭にかぶったタオルの隙間から覗き見えた。
 ガシガシとタオルで擦るように乱雑に髪を乾かしながら、皆本は短く「別に」とだけ返す。そうして兵部は自分が何に対して怒っていると思っているのだろうかと考えて、皆本は表情を苦く変えた。
 忘れていたのに、思い出したせいでまた腹が立ってきたのだ。
 きっかけはあってないようなものだ。
 今日は普段よりも早く帰れそうだったから、子供達の為に久し振りに手の込んだ料理を作ってあげようと皆本は考えていた。なのにその帰り道、唐突に現れた兵部に拉致されるようにホテルに連れ去られ、今に至る。幸いだったのは子供達に今日の予定を伝えていなかったから、期待を裏切るようなことにはならなかった、ということか。
 皆本が大きな溜息を吐き出すと、不意に顔に影がかかった。
 俯きがちな顔を上げると、いつの間にか兵部が正面に立っていた。皆本が警戒するよりも先に、兵部の手が伸びてきた。
 その手のひらに、先程の言葉を思い出す。
 普段、常に気怠そうにポケットの中に入れられた手。何でも一人で背負い込んで、何でも一人で突っ走り、解決しようとして、大切なことも自分のことも何も話そうとはしてくれない。孤高を身に纏うことは己に課せられたものだとでも語るように、近くにいても常に一定の距離感が保たれる。踏み込むなと、境界が敷かれる。
「皆本?」
 頬に添えられた手に、俯こうとする顔を持ち上げられ、皆本はきつく唇を引き結ぶ。
 これまで考えたことがなかったわけではない。
 それでも、他人に自分達の在り方を、無意味さを突きつけられたような気分になる。あまりにも不愉快だ。何よりもそれを否定しきれない自分自身が。
「……兵部」
 名を呼んで、皆本は兵部の手に自分の手を重ね合わせる。上から包み込むように握り締めると、兵部の指がぴくりと跳ねた。その指を強く握り込んで、頬に強く、兵部の温もりを感じる。
「お前の手、好きだ」
 囁くように呟いて、皆本は目を伏せる。
 繊細で優しくて、仲間を守る為に傷付くことも厭わないひたむきな手。この手に与えられる無償の愛がどんなものなのか、羨むこともあった。触れたいのに、皆本の前では隠され届かない場所にあって、もどかしさに何度胸を締め付けられたのかもわからない。
 今は、こうして触れられる喜びに、また胸を締め付けられているけれど。
「……別に、もう怒ってない」
 兵部が唐突なのは、自分本位なのは、諦めてもいる。なんだかんだと決して皆本の嫌がることはしないし、どうしても優先しなければならないものがある時はそもそも現れもしないのだから、兵部もわかっていてやっているのだろう。だから、憎めない。
「お前に触れられたい。お前に触れたい。―……お前は、ここにいるよな?」
 もう二度と、勝手に遠くへ行ったりしないだろう?
 皆本が見つめる先で、兵部は驚くように目を見開かせ、そしてふっと眦を下げる。顎を軽く持ち上げられて、兵部の顔がゆっくりと近付いてくる。
「それは断言できないし、君と約束するつもりもない」
「っ」
「でも、今はここにいるよ」
 重なる唇に絆されて、有耶無耶に誤魔化される。それではいけないとわかっているのに、約束のない関係だと、何よりも理解している。
 多くは求めない。
 今は傍にいて触れられるだけでいい。
 そっと押し倒してくる兵部の手を強く握り締めて、皆本は何かに期待するように吐き出す息を熱く焦がした。
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