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  たとえばそんな日常  

 活気と熱気に溢れる店内にやや気圧されつつ、皆本は兵部と共に僅かな人だかりのできたカウンターに並ぶ。出入り口にまで続いたその人の列に、丁度店から出ようとした客を避けるために、兵部が身体を寄せてくる。
 近付いた兵部の身体を皆本はその客との間で潰してしまわないように半歩身を引き、受け止める。ちらり、と視線を向けてきた兵部に皆本は苦笑で返した。
「お前もう決めたか?」
「んー……、どうしようかな」
 カウンターと、店内の様子を窺って、兵部が決めあぐねた声を出す。店内に漂う香りに、客達がトレイに載せて運ぶ商品に、確かに目移りしてしまう。
 そうこうしているうちに皆本と兵部の番がやってきて、まずは兵部がセットメニューを注文する。復唱する店員にひとつ頷いて、兵部はポケットを探る仕草を見せてから、皆本を振り返った。
「あ。奢ってくれるよね? 皆本センセイ」
「はぁ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げて、皆本は兵部を胡乱に見つめる。にやにやと、何かを面白がるような顔をした兵部がもったいぶったような動作で自分と皆本を見た後、その視線を周囲に流す。
 皆本もつられて兵部と自分を見て、周囲を見渡し―顔を顰めた。
 カウンター前には学生服の少年とスーツの男。店内には、ちょうど学校帰りと見える制服姿の少年少女達が多く席を埋めていた。
 刹那、込み上げた怒鳴りつけたい衝動を皆本は拳を握ることでぐっと耐えると、にこやかな笑みを浮かべたままの店員に向かってやや早口に注文を追加する。
 支払いを済ませるため、兵部が皆本にカウンター前を譲る。視界の端に移動した兵部を、皆本はきつく睨みつけた。だが、兵部は涼しげな表情で佇んでいた。
 スムーズに商品の受け取りを済ませて、皆本が二人分の商品の乗ったトレイを運ぶ。兵部は空いた席を探して皆本を先導する。二階席は、一階とは違い比較的空いていた。猥雑とした空気もなく、穏やかに時間が流れている。
 その一角に腰を下ろして、兵部は皆本に運ばせたトレイから自分の分を選別する。
「ご馳走になるね、皆本クン」
「……年下に奢らせて恥ずかしくないのか、このジジイ」
 皆本も席について自分のものをより分けながら、悪態を吐く。
「ちっちゃい男だな、君は」
「騙し討ちみたいなのが気に入らないんだよ!」
「まあそんなカッカせずに。お腹でも満たして落ち着けよ」
 まったくの他人事であるように、兵部は皆本の怒りも受け流す。余裕である態度を崩すことなく兵部はポテトを一本抜き取って、それを皆本の口元へと運んだ。
 口元へと向けられたそれに、皆本は怒りを殺がれ鼻白んだ顔をする。何かを言いたげに口を動かした後、差し出されたままのポテトを咥えた。
 満足そうに口元を緩めた兵部に皆本はそっぽを向いて咀嚼を終わらせ、コーヒーで喉を潤す。
「っていうか、今僕の分から抜いたよな……?」
「目敏いな。君が食べたんだからいいじゃん」
 呆れた口調で返しながら、兵部がバーガーの包みを開ける。それはそうなのだが、と皆本はどこか釈然としないような気分を抱えたまま、バーガーに手を伸ばした。
 大きく口を開けてかぶりつく皆本とは対照的に、兵部は溢れたソースの存在に神経質そうに眉を寄せてからかじりついた。
「……なに?」
 それを見ていた皆本に、兵部から怪訝な声がかかる。皆本はなんでもないと首を振るが、じっと正面から向けられる視線はそう簡単に諦めてはくれない。
 皆本は観念して溜息を零し、
「可愛い食べ方だな、と」
 そう告げた瞬間、臑に衝撃が走り、皆本は椅子に座ったまま悶絶する。
 兵部はそれを小馬鹿にしたような目で見下ろし、フン、と鼻を鳴らした。
「口周りにソースが付きそうで気になるんだよ」
「ならなんでここに入るって言い出したんだよ……」
「それとこれとは別問題」
 にべもなく言い切って、兵部がバーガーにかぶりつく。垂れた髪が手元にかかりそうで、皆本は手を拭った後に兵部の髪を耳へと流す。その間、兵部は咀嚼を止めていたが、皆本の手が離れると再開し、小さく息を吐いた。
 物言いたげな兵部の視線に、皆本がたじろぐ。
「なんだよ……」
「君さ、ちょっと天然すぎるよね。あと僕のこと子供扱いするのやめてくれない? 坊や」
 何故突拍子もなく兵部に責められなければならないのかわからず皆本は首を傾げ、だが兵部に倣ってバーガーにかぶりつくその横顔にいくつかの視線が突き刺さっているように感じられ、頬を赤らめる。
 無言で食べ進める皆本に兵部が唇を持ち上げるのが腹立たしく、テーブルの下で脚を蹴りつけてやれば、簡単に避けられた。

 トレイとゴミとなったものを片付けて、一階へと降りる狭い階段の途中。
「ああ、皆本クン」
 後ろをついてきていた兵部に呼ばれ、皆本は数段先で足を止め、振り返る。振り向いた視界には兵部の顔がいっぱいに広がり、無警戒であった口が何かに塞がれる。
 驚き、足を踏み外しそうになった身体を兵部にしっかりと支えられ、口腔を深く弄られた。ねっとりと蠢く舌に皆本は息を弾ませ、兵部に縋る。
「ごちそうさま」
 囁きは何に対するものなのか。
 皆本はキッと兵部を睨みつけると、手の甲で雑に濡れた唇を拭った。身体を支える兵部の腕を振り払って、皆本は足早に階段を降りる。
 その後から悠然と降りてくる兵部の顔は、ひどく楽しそうに笑っていた。
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