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  イカサマレンアイ  

「さて、これはいったいどういう状況なのかな?」
 軽く小首を傾げて、どこか困惑を混ぜたように兵部が問いかける。問いかけられた皆本は、憮然とした――子供のように軽く唇を尖らせた表情を隠そうともせず、兵部を睨み――見つめていた。
 兵部の膝の上には、しっかりとした重さがあった。成人男性の体重を膝に乗せているのだから、身じろぎひとつするのも一苦労だ。邪険に思うのならば強制的に降ろしてしまえば済む話だが、滅多にない皆本からの甘え――にしては表情が少々どころでなく険しいが――まで無碍にしてしまうのはあまりにももったいない。
 なにせこの青年は、自分から恋人に甘えるなどという言動は一切取ってくれないほど、うぶなのだから。自分をさらけ出すことに不慣れで、そのくせ相手のすべてを知っていたいという独占欲じみたじっとりとした視線を放つ。
 もっとも、恋人などとは言っても、それは便宜上示せる関係性にすぎず、本来は仇敵であり、反目しあいながらも妙に気になって自分の手中に収めておきたいのだという、決して綺麗でも純粋でもない感情の上で成り立った、面倒な関係なのだけれども。
 それでも、皆本から行動を起こすことは少なく、ほとんどが兵部からの強引なアプローチに皆本が折れる形で、あるいは否応なく流されていることが多いのは、先にも述べたように皆本がこういうことに不慣れであるからだ。加えて、妙に負けず嫌いな性格と、兵部の人を食ったような飄然とした態度も起因しているのだろう。兵部には、それがわかっていても改めるつもりは毛頭ないが。
 素直になろうとして、でもできなくて、こうしてたまに感情が暴走して自分でもわからないうちに行動を起こしてしまう皆本が、可愛くてたまらないのだ。性格が悪くて、意地が悪くて結構。
 自分自身の感情に戸惑い、縋ってくる皆本は可愛い。
「……なにがおかしい?」
「なんでもないよ。――それより、続きは? これでおしまいかい?」
 兵部の膝に乗り、首裏に両腕を絡めたまま、次の行動を取ろうとしない皆本を下から覗き込む。普段は見下ろしているから、見上げる角度は新鮮だ。
 皆本が表情を隠そうと俯こうとも、その視線の先には兵部がいる。耐えて正面や上を向こうとも、下から見上げてくる視線に逃げ場はない。
 少しずつ色づき始める肌を兵部が目を細めて眺めていると、不意に顎が下げられ、むすり、とした表情で見返された。
「お前のその余裕綽々な態度が気に入らない」
「余裕? 僕が?」
 不機嫌に告げられたそれを、兵部は笑い飛ばす。
 皆本の不快に歪んだ頬を指の背で撫でれば、首裏に回された手に僅かに力が入れられたのを感じる。
「そりゃ、僕は君より長く生きているからね。自分の感情を偽ることくらい簡単だよ」
「どういう――」
 怪訝な顔で呟く皆本に、自嘲に歪んだ顔をすぐさま取り払う。次いで見せるのは、欲に歪んだ醜い男の顔。
「好きな子にこんなに迫られてるのに、手を出さずにいられるわけがないだろう?」
 瞬間、息を詰めた皆本が真っ赤に顔を染め上げていく。大きな双眸を羞恥に濡らして、身体を仰け反らせながらも、縋りついた腕は一向に離れない。
 触れる箇所から、体温の上昇が伝わってくる。
「なっ、誰が迫ってなんかっ……!」
「キスしてよ」
 目を見開いて、絶句する皆本は今にも泣きそうに見える。そんな隙だらけの表情ばかりを見せるから、意地悪にもなってしまうというのに。
「皆本クンからキスして欲しい。――そうしたら、僕から余裕を奪えるんじゃないかな?」
 嫌なら拒めばいい。
 拒めないのは、葛藤を抱いてしまうのは、そこに確かな誘惑があり、それを望んでいるからだ。
 拒まれないことに安堵する兵部の心情など、皆本は知らないのだろう。一生、知らないままでいればいい。そうして心を振り回されて思考全てを兵部で埋め尽くして、今よりもっと夢中になってしまえばいい。
 昔から言うだろう。
 「惚れた方が負け」なのだ、と。
 こちらは、どうしたらずっと自分に縛り付けておけるのか、自分だけを見てくれるのか、卑怯と知りながらそれを実践しているというのに。
 必死に足掻くそれが余裕と受け取られたことに安堵して、気付かないことにそれを意図して隠しているというのに理不尽な苛立ちを抱く。
「――んっ……」
 ぶつけるように重ねられた唇に笑いを洩らして、すぐに離れようとする頭を押さえて深く貪る。
 触れ合った唇に余裕が、理性が奪われる。嘘は吐いてない。ただその解釈に違いがあっただけ。
「君の全部を食らい尽くせたなら、この飢餓感も少しは満たされるのかな」
「物騒なことを言うな」
 嫌そうに吐き捨てられて、頭を小突かれる。
 痛い、と文句を返せば、当然だと、吐き出された息が笑う。
 ムカついたから口を塞いだら、積極的に舌が絡んできた。
(ああほんと、これのどこに余裕があるって言うんだよ)
 兵部が組み敷いた皆本の顔は、赤かった。
 だがそれと同じような顔をしているだろうという自覚は、兵部にもあった。
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