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  瞼の情景  

 重力に引かれるように背中から倒れ込む身体に、皆本は咄嗟に手を伸ばし、眼前にあるそれを掴んだ。
 驚きの表情のまま、目を見開かせ、現状が把握できていないようにぱちりと瞬いた双眸を、兵部はただ無言で見下ろす。胸倉を捕まれたままということにも、感情は動かなかった。ただ、苛立つような感情が沸き起こる。
「な……にをするんだ、いきなり!」
 ようやく状況を飲み込み、兵部に引き倒されたのだ、と理解した皆本が吼える。背後はベッドであり、柔らかなクッションに受け止められたのだから、何の問題もないだろうに。
 それが心情に表れていたのか、それとも実際に口にしてしまったのか、皆本の顔が赤く染まっている。憤慨した表情でも、赤く色づいた頬と落ち着きなく揺れる瞳のせいで、表情の種類が違って見える。――羞恥しているのだ、と。
 自然と笑みに歪む唇を、兵部は抑えようとはしなかった。
 怒りか、羞恥か、強張った頬に片手を滑らせると、胸倉を掴んでいた手が、押し退けるように力を入れる。些細な抵抗を胸元に感じながらも、兵部はそれを捻じ伏せるようにゆっくりと上体を近付けた。
 頬に添えていた手で顎を掴むと、警戒を孕んだ眼差しに見つめられる。
「何の真似だ」
 詰問する声は、先ほどよりも低く冷たい。
 普段平和ボケしたように、子供達に向ける柔らかさも温かさも感じられない。
 それを思い出して、兵部は口の中で鋭く舌打ちすると、それ以上の声を塞ぐように、唇を重ねた。身体の下の抵抗をものともせず、逃げ惑う口腔を深く荒らす。
 呻き、諦めようとはしない反骨心に苛立ちを重ねながら、それでも弱いところをくすぐれば過敏に反応する皆本に歪んだ欲を満たしていく。
 角度を変え、息継ぎの間を与えながらも好き勝手に蹂躙を続けていると、震える舌が屈服を見せて伸ばされる。恐々とぎこちなく蹂躙する兵部の舌に触れ、擦られると身体をかたく緊張させる。押し返す手は、縋る手に変わっていた。
 わざと音を響かせて行為を自覚させ、洩れる声にも甘さが滲んでいく。執拗に絡めていた舌を解けば、離した唇からは媚びるような声が零れていた。
「キスだけでイきそうな顔だな、皆本」
「っ」
 煽る声を投げれば、途端にとろけた顔を怒らせて睨んでくる。事実だろ、とせせら笑う兵部の下で、皆本は悔しげな顔を隠さずに濡れた口唇を手の甲で拭った。
「何の八つ当たりだ、これは」
 そして吐き出された言葉に、兵部は思い当たる節もなく首を傾げた。皆本は一瞬、信じられないと目を瞠ったが、すぐに眉根を寄せて兵部を眺めた。
 怪訝に見つめられる視線に、不快指数が上昇するのがわかる。何故皆本にそんな目で見られなければならないのかと、憮然とした感情を持て余し、それらがイコールで繋がる事実に気付いた。
 そして、兵部はおかしそうに笑い出す。
「ハッ。そうか。君には八つ当たりに見えるのか」
 おかしさを吐き出すように告げれば、皆本は違うのか、と更に深く眉間に皺を刻んだ。
 その顔を見下ろして、兵部はおもしろくない、と思う。己の前での皆本は、いつもそんな表情だ。気難しく顔を顰めて、それが当たり前の関係であるのに――つまらない。だが万人に見せる、誰に対しても浮かべられるものが見たいわけではない。それを欲しているわけではない。
 そう考えればこれも、兵部のことを考えて浮かべられた表情か、と思考が至り、僅かに溜飲を下げる。
 けれど、本当に見たいのはこんな顔ではない。
「……兵部?」
 浮かべる笑みの質を変えた兵部に聡く勘付いたのか、皆本が逃げ場のないベッドの上で身じろぐ。ほんの少しでも逃げだそうと、腰を動かす皆本に兵部はその肩口を押さえ込んで引き留める。
 わざと、それを押しつけるように身体を密着させると、皆本がわかりやすく狼狽する。
「八つ当たりと感じてるなら、甘んじて受けろよ。――これは、君のせいなんだから」
「はぁ? なんだよその横暴――」
 上がる抗議は舌を絡め取って封じ、捩る身体に手を這わす。シャツの上から、若い肉体の弾力を楽しむように撫で回す。たっぷりと服の上から感触を焦らして、直に触れる。緊張する腹筋に触れれば、それがくすぐったかったのか感じてしまったのか、腰がくねる。
 首を振って絡む舌を解こうとする皆本に、兵部は喉奥で笑いを噛み締めた。胸元へと這い上がった手は、まだ核心には触れてやらない。
「あ…、んんっ」
 合わせた唇から微かに洩れる甘さを含んだ声に誘われて、兵部は絡めていた舌を強く吸い上げた。びく、と身体を跳ねさせて、皆本が身悶える。
 主張するように突き出された胸の、突起にようやくと触れればそこは既にかたく尖り始めていた。爪先で掻くように乳首をくすぐると、びくびくと戦慄きを起こす。
「胸を弄られるのが気持ちいいのかい?」
 熱い吐息を吹き込むように、羞恥心を刺激するように兵部は皆本の耳元で熱っぽく囁く。押し付けた唇を滑らせ耳朶を含むと、皆本は殺し損ねた声で喉を震わせた。
 熱を上げて身体を火照らせ、逸る鼓動もバレバレだというのに、皆本はそれを認めない。恨みがましく兵部を睨んで、無言で責める。――しかしそれは、兵部にしてみれば熱く見つめ、ねだられているようにしか見えない。
 兵部はクッと喉を鳴らして笑いを零すと、遮る邪魔な眼鏡を取り払い、己を映し出すひたむきな眼球に愛おしく舌を這わせた。

「――あ、ああっ、…くぅ、んっ」
 ひたすらに熱を擦り合うように身体を揺らし、高みを求めて追い上げていく。ただそれだけを夢中で追いかけ、今この時だけは理性など手放してしまいたくなる。
 頭のどこかでは即物的なものに対した無意味さと儚さを自覚しながらも、だからどうしたと一笑に付す。刹那である永遠と、永遠である刹那。
「あっ……兵部っ、もぅ――」
 縋りついてくる腕は、理性も薄く力強い。だがその広がる痛みが、心地よい。己の中にも被虐性は存在していたのか、皆本の齎す痛みと興奮に煽られながら、内奥深くを熱で抉る。
 きつい締め付けを抉じ開けて己を打ち付け、絡み付いてくるような熱の蠢きに、限界へと導かれる。
「――出すよ」
 宣告する征服。
 びくり、と怯えるように揺れた身体は、だがその内部は嬉々として兵部を絞り上げる。
 容赦のない揺さ振りで絶頂へと追い詰め、きつく内奥を収縮させて皆本が達する。すぐに兵部も、同じ恍惚を求めて内奥深くへと熱い精を注ぎ込んだ。
 その瞬間。
 荒く乱れた呼吸をほんの一時だけ止めて、多幸感に包まれたようにとろける表情。
 だらしなくて、いやらしくて、愛しさすら抱く。
 ――この顔を知るのは、自分だけでいい。
 傲慢な独占欲に満ちた感情を自覚しながら、兵部は皆本の後頭部に手を回すと甘い吐息を零すその唇を深く塞ぎ込んだ。
 はにかむように淡く微笑む表情は、瞼を閉じていても容易く思い出せる。
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