目次

  指先の温度  

 ピピピッ ピピピッ
 時刻を知らせるアラームの音。中断させられる眠りにうだうだと縋りながらも、一向に鳴り止む気配のないその音に腕を伸ばす。
「あー……、アラーム切るの忘れてたのか」
 液晶に映し出された曜日を確認して、ぼんやりとまた腕をブランケットの中に戻す。うつらうつらとしながら頭の中にスケジュールを浮かべて、今日は家の中に子供達がいないことを思い出す。
 二度寝の誘惑に抗わず、もぞりと潜り込んだその先で。
「ん……?」
 顎先に触れる柔らかな毛。伸ばした手でそれに触れて、撫で回す。
「トルテ……なわけないし」
 実家にいるはずの愛犬を思い出してみても、毛の感触もフォルムも何もかも違う。けれど自分はそれをよく知っているような気がして、頭を撫でたまま目線を下に落とし――
「あたま?」
 物の輪郭も覚束無い視界の中に見える白銀の髪。よくよく他にも意識を向けてみれば、身体に寄り添うように何かがくっついている。
 そもそもどうして気付かなかったのか。
 それを認識した途端、微睡みなど彼方に吹き飛んで、皆本は飛び上がるように身体を起こしていた。
「兵部っ!?」
 何故か自分のベッドで、傍らで眠っている人間を見下ろして、皆本は自分の行動を振り返り赤面する。いくら寝惚けていたとはいえ、兵部の頭を撫で回していたなんて――!
「うるさい」
 不機嫌な、くぐもったようなその声が聞こえた次の瞬間には、皆本は顔をシーツに押しつけられていた。焦ってもがこうとしても、皆本を縫いつける念動能力は容赦がない。
 大人しく抵抗を諦めれば、負荷も消える。その代わりというように再び兵部が寄り添ってきて、これはいったいなんの新手の嫌がらせかと、皆本はむくれる。
「……何の真似だよ」
「君は大人しく僕の抱き枕になってればいいんだよ」
 そう告げたきり、寝息も立てずに眠りにつく兵部に、皆本は溜息を吐く。それが、兵部の安眠を邪魔しないようにと無意識に控えめに洩らしていたことに、すぐにまた二度目の息を吐き出す。
 理不尽さがふつふつと込み上げてくる。けれど、寝ている人間には苛立ちをぶつけられない。たとえそれが兵部であっても。
 ――甘えられている、のか。
 三度目の溜息は呑み込んで、皆本は兵部の身体を抱き込むように、腕を回した。回した腕で、今度は意識して、兵部の頭を撫でる。ゆったりと、眠りの妨げにはならないように。
 だが、皆本に覚えがあるのは、こうしているときではない。そもそも兵部と眠るときは大抵、皆本の方が先に意識が落ちているから、こうして兵部の寝顔を拝むことも少ない。殆どないといっていい。
 ならばいつ、自分は兵部の頭を撫でたのだろう、と、少しずつ微睡み始める意識を探って、皆本はびくり、と身体を強張らせた。徐々に頬が熱くなっていくのを感じる。頭を撫でていた手もぎこちなく動きを止める。
 思い出した。
 脳裏に蘇る声。音。熱。皆本を甘く苛む、その感触までも。
 慌てて、兵部から身体を離そうとするが、いつの間にか腰に巻き付いた腕にそれも出来ない。薄く開いた唇から呼気が洩れ、その声に鼓動を跳ねさせてしまう。
 わざとかと睨んでもそこにあるのは無防備な寝顔で、皆本一人、空回りを起こす。せめてもと腰を引いても、本当に寝ているのかという力で抱き締められる。
 その腕の感触にすら、どうしようもなくなってしまう。早く自分も寝てしまおうと思うのに、妙に目が冴えて眠れない。久し振りに触れる身体に、欲求だけが高まっていく。
 逃げられない体勢のまま、乱れる呼吸に気付かれないようにと顎を反らして、静かに悶える。
 どうにか気を逸らそうと、熱を冷まそうと別のことを考えてみても、腕の中の存在が気になって集中できない。寝ているのなら大丈夫じゃないかと、変な気が起こる。
 そっと、ゆっくりと、兵部の身体を腕に抱き込んで、皆本はぎゅっときつく目を瞑った。


「……なにしてるの、君」
 ソファにぐったりと、陰を背負って沈み込んだ皆本に、兵部が呆れて声をかける。寝起きの気だるさを纏わせつつもいつも通りの姿を一瞥して、皆本は深く溜息を吐いた。
 むっと、兵部の顔が不機嫌に変わる。
「別に」
 結局、あれから悪戦苦闘しながら兵部の身体を引き剥がしてベッドを抜け出して以降、皆本はなにをするでもなく、まんじりとソファに沈んでいた。主に自己嫌悪やら何やらで。
 ヘタレと笑いたいなら笑えばいい。――そんな荒んだ心境だった。
「起きたら君がいないもんで焦ったよ。抱き枕のくせに」
「僕はそれを了解した覚えはない」
「僕がそうと決めたらそうなんだよ」
 ソファに座る皆本に歩み寄りながら傲慢に言い放つ兵部を、皆本が呆れて見上げる。視線はすぐに正面に戻った。
 しかし、それを許さないとばかりに、兵部が皆本の正面に立つ。逃げるように足をソファに乗せ、距離をはかる皆本に兵部がゆるりと唇を持ち上げる。そして逃さないようにと、皆本のすぐ真横に腕をつく。
「もしかして、――手を出されなかったから拗ねてる?」
 くすりと、笑い声を落とす兵部に、皆本は瞬間、顔を真っ赤に染めて目の前の男を凝視した。当たり? と小さく首を傾げて、嬉しそうに、楽しそうに笑う兵部に羞恥は最高潮に達し、怒りとも分からなくなる。
 折り曲げていた足を何の予備動作もなく伸ばして、兵部を蹴りつける。――もっとも、寸前で逃げられ空振りに終わったが。
「避けるな!」
「当たったら痛いじゃん」
 悪びれることもなく兵部はそう言い、蹴り付けた格好のままの足を掴み上げた。ずるりと、足を引かれ腰が滑る。皆本は咄嗟にソファの背に縋り、無残に尻から落ちることは免れる。
「何するんだ!」
「仕返し?」
 皆本の足を持ち上げたまま、にこりと笑う兵部に皆本は言葉を詰まらせたまま睨み付ける。
 その目を見下ろして、何を思ったか。兵部は皆本のくるぶしに顔を近付けると、唇を寄せた。びく、と跳ねた足を強く掴んで、皆本に見せつけるように、唇は臑へと移動していく。
「や、めろっ……、離せバカ!」
 力任せに皆本は足を取り戻そうとバタつかせるが、骨を軋ませるように掴んだ手は離れない。ゆっくりと這い上がっていく唇の感触に、ぞくぞくと何かが込み上げる。
 悔しさに、たまらず顔を背けて唇を噛みしめると、兵部はふくらはぎに軽く吸いついて、足を下ろさせた。だらしなく、大きく広げられた足の間に兵部はいた。それが居た堪れなく、皆本が足をまたソファへと持ち上げようとする前に、兵部の手がウエスト部分に触れる。
「なにっ」
「勝手にベッドを抜け出したお仕置き」
「ふざけんっ、――!」
 ズボンの中に手を突っ込まれ、下着越しにそれが強く握り締められる。呻くように零れそうになった声を耐えようと唇を引き結べば、喉が引き攣った。
 手の中で熱が高められ、下着を押し上げるように育つと、下着をずらして欲望が取り出される。先走りを滲ませ、てらてらといやらしく映る己の欲望に、皆本はくしゃりと顔を歪ませた。
「ほんと、こっちは可愛いくらいに正直なのに」
 当てつけのように囁いて、兵部が伸ばした舌で欲望を舐め上げる。吐いた呼気がくすぐるように陰茎を撫で、舐める舌に性感を煽られる。
 引き結んだ口の中で声を響かせた皆本に、兵部は音を立てて先端に口付けた。びくっ、と震えたそれが、兵部の頬を擦る。
「い、加減に、しろっ」
「嫌だね。可愛いおねだりの言葉なら聞いてやるから、いやらしく喘いでいなよ」
 そう言って皆本の昴りを深く咥え込んだ兵部に、たまらなく声が溢れる。無意識に閉じようとした足で兵部を挟み込むと、熱を含んだまま兵部が笑う。
 絡み付いてくる舌が、咥えた唇が、皆本を容赦なく甘く苛んでいく。重く痺れる腰に兵部の舌がどうしようもなく気持ちよくて、こんな場所で追い上げられるのが嫌なのに、抗えない。
 皆本に聞かせるように音を立てて舐めしゃぶる男のいやらしさに、たまらなく絡め取られる。自分のものに触れて、唇で愛撫される光景の卑猥さに、眩みそうになる。
「あ、あっ…、んぅっ」
 追い詰める熱に及び腰になりながらも、皆本の手は、もっととねだるように兵部の髪を掴む。指を差し込んで、掻き混ぜ、……これだと、納得する。
 普段自分からはなかなか手を伸ばせない自分が、ただ無心で触れる愛しいもの。気まぐれで気位の高い猫が、心を許して触れさせてくれているような、そんな錯覚を抱く瞬間。
「あっ、はぁっ」
「いつもよりいっぱい零してるんじゃない? どれだけ舐めても追いつかないよ」
「るっさい……っ。はやく、くわえろっ」
「可愛くない」
 呆れるように愚痴を零しながらも、兵部の口調は楽しげだ。
 喉奥まで深く咥えて締めながら強く吸われると、皆本は遠慮なく兵部の口腔へと精を吐き出した。無意識に強く掴んでいた力を緩めて髪を掻き回すと、兵部が小さく笑う。
「君、そうやって僕の頭撫でるの好きだろう」
 残滓を舐め取りながら、上目に見るように見つめられて、皆本は指に髪を絡ませたまま、言葉を詰まらせる。気付かれていない――などとは思っていないが、それを本人に問われると何と返せばいいのか分からなくなる。
 熱の高まりのせいだけではなく頬を上気させて、皆本はそっと視線をずらす。
「……好きで悪いか」
「誰も悪いとは言ってないだろう」
 くすくすと、笑いながら兵部が立ち上がろうとする気配に皆本はそっと手を離す。立ち上がった兵部は片膝をソファに乗り上げさせて、胸に抱き込むように皆本の頭を抱えた。
 自分がしていたように頭を撫でられて、胸に温かなものが広がっていく。……兵部もそれを、感じてくれていたのだろうか?
「好きだ好きだって、指から君の気持ちが流れ込んできて、たまらなく興奮する」
 さっきは君から襲ってくれるかと期待して耐えてたけど。
 内緒話をするように耳に吹き込まれ、昂った股間を押しつけられて、皆本は沸騰したように顔を真っ赤に染め上げた。
 逃げようとしても、今更だ。
「――責任、取ってくれるよね?」
「っ」
 耳を甘噛みされ、上げかけた悲鳴を飲み込む。
 鎮まらない熱を自覚して、妖艶な誘いをかけてくる瞳を見つめて、皆本は観念すると顎を持ち上げて兵部を見上げた。
「今度は寝込みだろうと襲ってやる」
「楽しみにしてるよ」
 追撃の言葉は、口を塞ぐ熱い唇に呑み込まれた。
目次

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system