ネムリノマユ
――これは、そう。いつかに見た情景だ。
「動くな、兵部!」
追いかけた先のビルの屋上で、既にその地位は彼の後継者たる者に譲られたにも関わらず、変わらぬ影響力と存在感――、力を誇示する男を追い詰めた。
まるで、いつかに見た彼女に対するように。
――動くな、破壊の女王ッ! いや、薫!!
違う。追い詰めたのではない。
自分が、追い詰められたのだ。
この未来予知を実現させないために自分達は努力してきたはずだった。だがその結果が、今、目の前に広がっている。
何の為に自分達は今まで歩みを進めてきたのか。これまでしてきたことは、所詮無駄でしかなかったのか。……そうではないと、頭では分かっているのに、拭い去れない焦燥に、苛立ちだけが募っていく。
そして皆本の抱く焦りを、無力感を、目の前に立つ男はいつだって見透かしてきた。
「撃てよ、皆本」
挑発的に投げられた言葉。
無意識にブラスターを握る手に力が篭る。ぐ、っと力を込め、喉の奥で詰まる息が呼吸の邪魔をする。
じわり、滲み出す汗が不快に伝う。
「結局君は未来を変えられなかった。君に、君の力じゃ未来を変えることなど出来ないんだよ」
その言葉は責めているのか、蔑んでいるのか。
失望を、抱かれているのか。
喉が渇く。
カラカラと。
拭えぬ息苦しさに不恰好に喘ぐように息を吐き出して、声を振り絞る。
「――そんなことは、ないッ!」
嗚呼、なんて愚かな。
悪足掻きにしか聞こえない、無知なる叫びだ。
この盤面を覆す知略を巡らせることも出来ないくせに、言葉だけは一人前だ。
そんな未熟さが、愚かさが、無様さが、兵部の癪に障るのだと、自分でも口からの出任せに過ぎないのだと理解していても、認めることだけは、出来ない。
溺れる者が必死に藁にも縋るように、あるとも知れぬ救済を打破する糸口を地に這い蹲ってでも探し出したくなる。
僕はこんな未来を望んでいたわけじゃない――!
偽善者の悲痛な叫び。
けれど全てを知る者から見れば、単なる道化。
なにを今更と、響く嘲笑と冷笑、失笑。
悲劇は喜劇となり、繰り広げられるは三文芝居の茶番劇。
「ああ。そうだ。今君がここで僕を撃てば――、何かしらは変わるだろうね? それは君の望む未来に繋がる道か、僕の求める未来に繋がる道か。ふたつにひとつ。そしてたとえ君が僕を撃たないのだとしても」
天高くどこまでも広がる青空を眺めていた双眸が、ひたりと皆本を捉える。
視線ひとつで瞬きひとつままならなくなる、絶対的な威圧。ズシリ、と抑圧するプレッシャーに息苦しさが舞い戻る。
静寂はただ徒に皆本を追い詰めた。それは真綿などというものではなく、蛇の硬く、冷ややかな鱗で覆われた胴で締め付けられるように緩やかに、けれど確実に。
チロチロと伸ばされる長い舌が皆本の恐怖を、不安を、絶望を煽るように頬を撫でる。
「僕がお前を殺す。女王は既に僕の手中をも離れ、超能力者達の救世主として君臨した。その傍には女神や女帝の存在もある。君はもう用無しだ」
滔々と謳うように語られる言葉に、白蛇に身を封じられた皆本がビクリと身体を揺らす。
焦点の定まらぬ目で必死に目前の兵部を捉えようとし、しかしその幼さすら残した双眸は、少しずつ絶望に染められていく。
兵部は皆本が掲げたままのブラスターの銃口を下げ、己の胸元にその狙いを定めさせた。
血の気を失くした皆本の肌は冷たく、兵部が顎に手をかけ顔を持ち上げると、縋るような視線が送られてきた。その、みっともなく一縷の光に縋ろうとする健気さに、しかしその弱さを自覚した刹那に浮かぶ強気な煌めきに、兵部の唇は酷薄な笑みを刻む。
「君がいると迷惑なんだ。もう誰も、君の存在を必要としてはいないんだよ」
「――ッ!!」
囁きに五感全てが奪われ、目の前が闇に染まる。
誰かに必要とされるためにこれまで過ごしてきたわけじゃない。けれど本当にそうだったと言い切れるのか。
彼女達が自分の手元から離れて行った時、袂は分かたれたのだと理解させられた時に抱いた虚無。裏切られたと言う現実に打ちのめされ、胸に空いた虚空は未だ埋められないまま。
だがその裏切りとは何なのか。
勝手に皆本が、彼女達の未来を自分の都合の良いように作り上げていただけではないのか。
「安心しろよ。一思いに殺してやる。この世に未練も残す暇なく、終わらせてあげる」
カチカチと、打ち鳴らされるそれは生に縋る本能か。
――大好きだったよ。
脳裏に流れる声。
トリガーを引き絞る指先。
頬に伝う、熱い雫。
――愛してる。
最期の言葉は銃声に掻き消える。
地に伏せた人であったモノと、力尽き膝をついた者。
滂沱と流れる雫は悲哀か、喜悦か。
僅かとも動かないソレを見つめて、じわり、じわりと浸蝕を果たしてくる実感。
胸に広がるのは、紛れもない、純然たる狂気――
その口元に浮かぶは、歪んだ笑み。
「――……お前の望みは永遠に果たされないよ、兵部」
僕に思考を犯されたまま、その気高き精神は永遠に僕だけのものだ。
誰にも渡さない。
邪魔する者など許さない。
「 ぼくだけの、ものだ 」
嗚呼、この胸に抱く仄暗く確かな悦びを、なんと言葉にすればいい。
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