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  春植えざれば 前編  

 疲れた身体を休めようと自室のドアを開いた瞬間に、部屋の内側から何かに身体を引っ張られる。前につんのめった身体は床に転倒する前に何者かに抱き止められ、視界が黒で埋め尽くされた。
 突然のことに思考は固まりかけるが、そんなことを仕出かす人物など皆本は一人しかしらない。
「い、きなり何するんだっ、兵部!」
 不本意にも抱き付くような形となってしまった身体を引き剥がして睨み付けると、案の定そこにあったのは飄然とした体の兵部の姿。
 笑みを浮かべて暢気にやぁ、と話しかけてくる兵部に、皆本は相手をしてやるつもりはないと示すように身体ごとそっぽを向くと、スーツに手をかけた。
 ようやく仕事を終えて帰ってきたというのに、厄介事の相手などしたくない。
「チルドレンなら学校に行ったぞ」
「みたいだね。だから――」
 素気無い皆本の態度を、兵部は気にした素振りもなく受け流して不自然に言葉を切った。それに皆本が食いつきを見せた刹那、兵部は皆本の腕を掴むとベッドへと押し倒した。
「気兼ねなく声を上げて問題ないわけだ」
 仰向けに倒れた身体の上にベッドを軋ませて覆い被さってくる兵部に、皆本が文句を言おうと開いた口がすかさず冷たい唇に塞がれる。押し退けようと持ち上げた両腕はベッドに押し付けられ、抉じ開けられた口腔を熱い舌に蹂躙される。
「ん、っ……、ふっ…」
 絡み付いてくる舌から逃れようと顔を振っても、引きずり出された舌を強く吸われると過ぎる快感に抵抗を弱めてしまう。
 執拗に、皆本を煽るようにわざと音を立てて舌を絡められ、飲み込めない唾液に頬が濡れる。唇の重なり合う隙間から響く荒い呼吸に感情が昂らされ、強張っていた身体が少しずつ脱力していく。
 そのことに気付いた兵部が唇を離すと、皆本の唇からは熱く濡れた溜息が零れていた。
「なん、の真似だ……」
 解放された腕で濡れた唇を無造作に拭えば、兵部は残念そうな、面白がるような顔を見せて徐にネクタイの結び目へと手を伸ばした。皆本が嫌そうに顔を顰めるのも気にせずに、兵部はネクタイを緩めるとシャツのボタンも外し始める。
 されるがままというのは気分的にいいものではなかったが、抵抗しても無駄だとはわかりきったものだ。それでも羞恥までは消せるものではなく、頬を火照らせて顔を背けているとはだけられたシャツの中へと手を滑り込まされ、淡く色付いた突起が指先に撫でられた。
「んっ」
 思わず身体を跳ねさせた皆本に、兵部は薄く笑みを浮かべると、反応を窺うようにじっくりと胸を弄り出す。乳首が指に摘まれ、捻るように指の腹に擦られる。そこから生じる疼痛に皆本は呻く声を必死に押し殺して、ぞくぞくと背中に広がっていく快感に身体を震わせた。
 快感をどうにかやり過ごそうと、無意識に身体を逃がそうとする皆本を見下ろして、兵部は尖り始めた乳首を爪先で掻くように弄りながら顔を近付けた。
 引き結ばれた唇を舐め上げると、僅かに綻ぶ。赤らんだ顔で睨む皆本に笑みを返して口を塞げば、重ねた唇から深い溜息が零れ落ちた。
 しばらくは流されるように兵部の愛撫を受け入れていた皆本も、音を立ててベルトを外されると我に返ったように慌てて、兵部の身体を押し退けた。
「だっ、だめだ……っ」
 両腕を突っ撥ねて拒む皆本に、兵部はその片手を取ると、力を篭められる指先に軽く唇を押し当てた。ぴく、と跳ねた指先に唇が笑む。
「身体を熱くして、期待してるくせに。君は嘘が下手だね」
 くす、と空気を揺らし笑う吐息に皆本は目許に朱を走らせ、兵部から指を取り戻した。途端、溶け合っていた温もりがじんと指先から広がり、遣る瀬無く肌が震える。
 それを紛らわすためにきつく指先を握り締めていると、有無を言わさずにズボンと下着をまとめて引き下ろされ、見られる視線に皆本はぎこちなく身体を捩った。浮かべられた余裕の表情が気に食わず、睨むように見上げるとふっと笑みを落として両足の間を弄られる。
 まだ力なく項垂れていた敏感なものを握られ、たまらずに身体が跳ね上がる。逃げるように腰をずり上げた皆本を押さえ込んで、兵部が手の中のものを扱き上げる。
「あっ、ああっ……」
 無防備な場所に直に与えられる刺激に、皆本は兵部の身体の下で腰をくねらせた。ぞくぞくとせり上がってくる甘い疼きに皆本のものは形を変えて反応を示し、先端を嬲る兵部の指を濡らしていく。
 昂るものの形をなぞるように撫でられるだけでも透明な雫を零し、熱の篭もった溜息が響いた。深く息を吸い込むために大きく胸を上下にさせると、その動きに誘われるように熱い感触が胸にかかり、突起が湿った感触に咥えられた。
「ぁ……っ」
 口唇に優しく食まれ、硬く尖らせた舌に転がされる。音を立てて胸を吸われ、与えられる愉悦に戦慄く身体を更に追い込むように両足の間では昂るものが指に翻弄されている。
 顎を反らして皆本は小さく喘ぎを上げ、顔を背けた。
 ゆっくりと押し寄せてくる官能は、頑なな理性をくすぐるように溶かしていく。張り詰めた所を逆撫でするように、けれど焦ることはなく。慰撫する官能はじれったさすら感じさせる。
 たまらなくなった身体を捩らせ、皆本が深く息を吐き出すとようやく、胸から顔が離された。甘い痺れを残した突起が冷たい空気に触れ、そんなことですら息が弾む。
 薄く開いた唇に熱い舌が差し込まれ、たっぷりと口内を舐め回して離れていく。
「その気になったかい?」
「……誰が」
 返した言葉も、交わす会話もただの言葉遊びだと知っていて兵部は楽しげに目を細めると軽く肩を竦める仕草を見せた。
「なら仕方ない」
 ひとつ、溜息を吐き出すと兵部は皆本を見下ろし、その身体をうつ伏せにひっくり返した。いきなりの暴挙に皆本が短い悲鳴を上げて振り向くと、兵部が背中へと圧し掛かってくる。
 手探りに両足の間が弄られ、中途半端に煽られていたものをまた握られる。
「感じてる顔を見られるのが嫌なんだろう?」
 押し付けがましく囁いて兵部の指は皆本のものを擦り、落ち着いたはずの息が簡単に乱れ始める。
 どんなに素っ気無い振りをしていても、正直な身体の反応までは誤魔化せない。
「あっ、やめ……っ、ま、てっ」
 はだけられたシャツから覗く肌を熱く火照らせながら、皆本は己の熱を扱き上げる男の手を必死に引き剥がした。意地悪な手が離れると、皆本は飄然とした顔を見せる兵部を睨め付け、少しでも距離を取ろうと身体を動かした。
 けれど、掴んだままだった手を逆に取られ、ぐっと引き戻される。
「あっ……」
「その反抗心は余計に煽るだけだぜ、坊や。可愛がってあげるだけだから、大人しくしな」
「ことわ、る……!」
 引き寄せる手を拒んで、皆本は勝気な煌きを見せる。――たった今、それは逆効果であると告げたばかりなのに。
 それは、情事に慣れないがゆえの稚拙な駆け引きのつもりなのか、ただの無自覚なのか。あれだけ言葉でも態度でも示してあげて最後には自分から求めるようにすらなったというのに、生真面目な理性は一線を越えさせるにも手が掛かる。
 まるで警戒心の強い猫をあの手この手で手懐けるような、翻弄しているようで翻弄されているような、そんな関係にふっと兵部の唇が綻ぶ。
 それを見つけて怪訝な顔をする皆本に兵部はすぐさま笑みを消し、シャツの裾から零れる決して柔らかくはない臀部を撫で回した。
 その手に皆本はびく、と身体を強張らせ、両手を振り回して暴れ出す。だがその抗いもあっさりと、背中から覆い被さる男に封じられる。両手をシーツに押し付けられ、臀部が撫で回しされたまま、うなじに熱い吐息がかかる。
 ぞくりと、身体に走った疼きに身を捩らせる皆本に兵部は吐息だけで笑うと、ねっとりと耳を舐め上げた。
「大人しくするだろう? 皆本」
 囁く声は嘲笑うようで、ひどく甘い。
 反抗したくなる皆本の心情も分かりきった上でわざと煽り立てて、追い詰めて、皆本がどうしようもなくなって困りだすのを、今か今かと待ち望んでいる。最悪で、悪趣味。
 怒りか羞恥か、見透かされる居た堪れなさか、小さく震える身体を宥めるようにシャツ越しに背中を辿って、兵部の指は皆本の顎を掴み上げる。無理矢理に視線を合わせられ、返答を促される。言葉はなく、ただ深く昏い、けれど確かな熱を帯びた静かな蒼に。
 掠れて上擦った声で、震える唇でそれを口にすれば、見下ろす濃紺が深みを増す。
「仕方のない坊やだ」
 愉しげで、それでいてどことなく淫靡な響きを持った声。
 小さな悲鳴が、皆本の喉奥から零れ落ちた。
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