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  歪  

 多分それは、ほんの一瞬の油断。
 そんなことをするはずがないと侮っていたか、どうにかなるようではないと過信していたか。
 どちらにしろ油断の生んだ隙が、それを許してしまった。
「……なんの、冗談だ? 皆本」
 衝撃を与えられた鳩尾を押さえて、兵部が低く問う。込み上げる嘔吐感は耐えられないものではなく、頭を冷静にさせるには十分だ。
 僅かに身体を崩した兵部を、皆本の腕が支える。間近に見る皆本の昏い顔。果たしてこのどこか平和ボケしてそうな青年は、こんなにも歪んだ顔が出来る人間だったのか。
「冗談だと思うか、兵部」
「質の悪い……ね」
 抑揚のない皆本の声に挑発を混ぜて返せば、今度は首筋に重い衝撃が走った。脳を揺らされる感覚に、意識まで遠退いていく。
 力を失くした兵部を、皆本がしっかりと抱き止める。決して手放さないとばかりの強い力で。
「――すまない、兵部。でも、もうダメなんだ……っ」
 小さな囁きは、微かに兵部の耳にも届いた。
 その懺悔を聞きながら、兵部は唇を持ち上げると強制的な眠りに身を任せた。

 目覚めてまず最初に感じたのは、両腕の違和感だった。ある程度予想していたことに驚きはないが、それ以外に違和感がないことを疑問にも感じていた。
 罠か、それとも――。
 相手にそんな小賢しさがあっただだろうかと唇に笑みを浮かべると、微かに部屋の空気が揺れた。身体を起き上がらせることもせず視線を巡らせば、すぐ傍に皆本の姿があった。
「何を笑ってる?」
 そう訊ねる皆本の声が憮然としているように感じ、兵部は低く喉を鳴らした。どういう態度を取ろうと根本は変わらない。変われない。――元より皆本は、器用であって器用ではない。
 苛立ちを募らせ始めた皆本に兵部は一瞥をくれると、ゆっくりと息を吐き出した。
 そして拘束された両腕を持ち上げる。
「こんなチャチなもので僕を捕らえられるとでも?」
「そんなこと思ってはいない。逃げられることなんか想定の範囲内だ。……でもお前は、まだ逃げてない」
 それが全てだと断言する皆本に、兵部は行動を読まれたような気分に小さく鼻を鳴らした。
 力なく投げ出すように兵部が両腕を下ろすと、皆本がベッドに乗り上げてくる。腰を跨ぎ、顔の両脇に手をついた皆本を、兵部は顔色ひとつ変えずにただ見上げる。
「お前のその澄ました顔が大嫌いだ」
「それは奇遇だね。僕も君の偽善者面した態度が嫌いだよ。……今は大分人間くさいと思うけどね」
 兵部の揶揄に皆本はカッと目許を赤くすると、ベッドについた手をきつく握り締めた。衝動を抑えようとしている表情に、兵部の口角が上がる。
 息を詰めて己を保とうとする皆本を、兵部は楽しげに眺めていた。次に皆本がどういう態度に出るのか、思考を巡らせるのですら面白かった。
 得てして追い詰められた人間は、突拍子もない行動を取るのが定石だからだ。それとも皆本は、ここまできても理性の皮を被るのか。
 皆本の葛藤はどれだけの時間だったのか。
 再び兵部に向けられた眼差しに、躊躇いは見えなかった。ただ、追い詰められた人間の仄昏さだけを残していた。
 その瞬間に兵部の中に走ったゾクリとした高揚を、皆本は本能で見抜いたはずだった。

 素肌の上を舌と指が這い回り、少しずつ性感を呼び起こそうとする。無視しようと思えば出来るほどの仄かなざわつきは、不快ではないが焦れったさが強く、快楽とは程遠い。
 臍から胸元へと舐め上げる舌を感じながら、兵部は息を吐き出した。
 その溜息をきっかけにして、皆本の手が下肢へと向かう。ベルトを緩めてボタンを外し、ジッパーが下ろされる。下着から取り出された兵部のものは、兆しもなく項垂れたまま。
「ふっ、…っ……」
 まだ力のないものを指に擦られると、さすがに兵部の呼吸も乱れた。反応を窺いながらゆっくりと擦り上げられ、頭を擡げ始めると皆本は身体を下へとずらした。
 先端が熱く柔らかな舌に舐められ、口腔に含まれていく。唾液を塗り付けるように舌が絡み付き、口唇と指に性器が高められる。
 卑猥な水音が部屋に響く。それと同じく響いているのは皆本の上げるくぐもった声だ。拙いままに技巧もなく、口いっぱいに頬張ってしゃぶりついている。
 時間をかけてたっぷりとしゃぶられた兵部のものは勃ち上がり、先走りを零し始めていた。皆本は口を離すと深く息を吐き、身体を起こす。
 下着ごとズボンを脱ぎ捨てた皆本の中心は、既に浅ましく涎を垂らして滾っていた。
 その様子にふ、と兵部が笑う。
「随分とだらしのない身体だな、皆本」
 嘲笑を込めて吐き出した言葉に皆本の身体が小さく揺れ動く。悔しげに唇を噛み締め、だがそこから反論の声は上がらない。
 上気した頬は羞恥のためか、晒された欲望は正直だ。
「……っん、…くっ」
 後ろ手に腕を回した皆本が何をしているのか、抱いた感想は意外であると、ただその一点のみ。
 苦痛に顔を歪め、自ら男を受け入れる準備をするその心情は如何なものか。僅かばかりに興味が湧くが、知ったところで何かが変わるわけでもない。
 そろそろ面倒になってきた拘束を外すと、兵部は驚いた顔をする皆本と目を合わせ、唇を歪めた。
 このまま思惑に乗ってやるか、どうするか。
 驚き身を引く皆本の身体を捕まえて、兵部は眼前の怯える獲物に舌なめずりをした。
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