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  SLAVE  

 ズキズキと頭に響く痛みに、沈んでいた意識が浮上する。単なる頭痛とは違う、何かの衝撃を受けたような痛みを抑えるべく無意識に手を伸ばそうとして、己の両腕が自由に動かないことに気付いた。
 震えていた瞼が唐突に持ち上がり、殺風景な部屋を確認する。その見慣れない部屋に反射的に立ち上がろうとした身体はしかし何かに阻まれ、立ち上がることは出来なかった。
 己の姿を見下ろせば、一人掛けの椅子に胴と両腕を一緒に拘束し、足も頑丈に椅子に括り付けられていた。身を捩って緩められるか確かめてみるが、ただ徒に肌に食い込むだけだ。
 拘束を解くのは一時諦めて、皆本は部屋を見渡した。
 その部屋はどこかのホテルであるのか、生活に必要な調度品は揃えられてあるようだが、ただそれだけ。置いてあるだけのそれらから生活臭は感じられない。使われた形跡も見あたらない。
 一体ここはどこなのか。自分の身に何が起きたのか。
 思考を巡らせようとすれば走る頭の痛みに、まずは意識を失う前の状況を思い出す。まずはそこからだ。
 しかし、手掛かりという手掛かりは覚えていない。いつもの帰宅途中に背後からいきなり名を呼ばれ、それに返事をすると振り向く前に何かに頭を殴られた。そしてそのまま、意識を失った。
 呼び掛けた声は男の声だった。その声に皆本は聞き覚えがない。地面に崩れる寸前、ブレる意識の中で見た顔はどんなものだったか。
「――くそっ」
 肝心なことが思い出せず、皆本は苛立つ声を吐き出した。自由に手が使えるのなら頭をかきむしりたい心境だ。
「ああ。目覚めていたんだね」
 それは皆本の吐いた悪態に反応したのか、返ってきたその嬉しそうな声に皆本は勢いよく顔を持ち上げた。
 扉から入ってきたのは、二人の男。そのどちらにも見覚えはない。だが、手前にいる、癖のある髪を持った若い男の方からはただならない気配を感じる。
 無意識に男達を警戒する皆本に、癖毛の男が人懐こいような笑みを浮かべた。
「気分はどうかな、皆本光一君。どうもテオドールが加減を忘れたみたいでね」
「私は普通人ですので。出血も見られませんでしたし、大事には至っていないと思いますが」
 男の後ろに控えていたテオドールが、呆れを混ぜながらも淡々とした口調で言葉を挟む。それに男は一瞥をくれ、すぐに皆本へと視線を戻し笑みを深めた。
 二人のやりとりで、彼らが皆本の誘拐を目論んだことは理解できた。だが気になるのはその理由と、テオドールが普通人であると口にしたこと。
「……何者だ」
 皆本の低い恫喝に、男が芝居掛かった仕草で大仰に肩を竦める。困った、と態度に見せながらも、その唇には笑みが浮かんだまま消えることはない。
「質問に質問で返すのは良くない。君が僕の質問に答えてくれたら、僕も答えてあげよう」
 男の口調は変わらず穏やかではいるが、警戒を怠るなと、何かが叫ぶ。叶うのなら今すぐにでもこの場を逃げ出したくなるような、得体の知れなさがひしひしと伝わってくる。
 じっとりと汗ばみ出す手のひらを握り締めて、皆本は男を見据えた。眼差しの真っ直ぐさに、男の眉が僅かに動く。
「最悪だ」
 皆本が吐き捨てた途端に流れる、緊迫した空気。テオドールは皆本の無謀さに身体を揺らしたが、その表情はすぐに無関心へと戻る。
 いつ、何が起きてもおかしくはない中、膠着した状況を破ったのは男の方だった。
「それは結構。では自己紹介でもしようか。皆本光一君。僕の名はギリアム。直接会うのは初めてだね。ユーリ……、僕の妹が随分と君達に世話になったようだ」
 簡単に名を明かした男に皆本は目を瞠り、続けられた言葉に驚愕を露にした。
「ブラック、ファントム……!」
 無意識に口をついて出た名に、ギリアムの口許に浮かべられていた笑みが深まる。
 嫌悪を隠さず、敵意を剥き出しにして皆本はギリアムを睨みつけるが、男の表情は変わらない。
「理解が早いのは何よりだ。さすがは、とでも言っておこうかな」
 ギリアムが打ち鳴らす、白々しい拍手が響き渡る。
 こうも容易く敵の手に落ちるなど、油断していた――としか言い様がない。悔しさに歯噛みする皆本を、ギリアムの底知れぬ目が観察するように見つめていた。
 ねっとりと絡みつくようなギリアムの眼差しに耐え切れず逃げるように顔を背けた皆本に、気分を害した様子もなくギリアムがゆったりとした足取りで近付いてくる。
 距離が縮まるだけ、鼓動が逸り出す。それを誤魔化すように握り締めた手のひらの中で、爪が皮膚に食い込んでいく。痛みを感じる、余裕などなかった。
「安心するといい。今はまだ殺しはしないよ。――今は、ね」
 皆本の正面で歩みを止めると、ギリアムはうっそりとした笑みを浮かべてそう告げた。唇に浮かべられた酷薄な笑みが警戒を誘う。睨み据える視線は、今度は外せそうにはなかった。一挙一動から目が離せない。
「……何が目的だ」
 乾き出す喉に言葉を引っ掛けそうになりながら、皆本は言葉を紡ぐ。引き出せる情報があるのならどんな些事であれ、引き出しておくべきだ。
 皆本の発した言葉に、意外なことを聞いたとでも言うようにギリアムは驚いた顔を作り肩を竦めた。その傍ら、皆本を見る目は愉しそうだ。
「君が生み出したブースト機能は興味深い。一度ならず二度までもユーリの洗脳を解き、その残滓であっても素晴らしい力を有している」
 そう言ってギリアムは恍惚の表情を見せた。眼前の皆本など視界に入っていないかのように、その目はこの場を映してはいない。
 その間に、皆本は素早く頭を回転させる。バレットの時も、ティムの時もギリアムの存在は確認されてはいない。今日このときになるまでユーリに兄という存在がいるということすら知らなかった。黒い幽霊に関しては、未だにその目的も含めてわからないことが多すぎるのが現状だ。
 ブースト自体が黒い幽霊に知られ、目をつけられているのは事実だ。今更驚くことではない。そのためにチルドレンの元にティムが寄越されたし、一度の失敗くらいで諦めるとは考えてもいない。しかし、残滓とはどういうことだ。一体いつ、ギリアムはそれを知り得たというのか。
 思考を巡らせながらも皆本は注意深く、ギリアムを窺っていた。そしてギリアムは反芻から戻ってくると、皆本に対し穏やかな笑みを浮かべた。
 笑みは、人に警戒を抱かせない。だがギリアムの浮かべるそれは、ただ不気味さを連れて来るだけだ。
 不意にギリアムの手が持ち上がり、ゆっくりと皆本へと向けられる。
「君も感じたことがあるはずだ。あの力の素晴らしさを」
 超能力者を救いたいという彼女達の穢れなき思い。その思いは強力な洗脳を打ち破り、包み込んでくれるあたたかな光。
 彼女達の力を脳裏に過ぎらせていた皆本に、ギリアムは確信のいった表情で皆本に触れた。強張る頬を辿り、顎を持ち上げる。痛みに呻いた皆本を覗き込むように、ギリアムの顔が近付けられた。
「君は素晴らしく厄介だ。生かしておきたくないほどには目障りで、殺したくないほどには使える頭脳を持っている。だったら皆本光一という意識を消してしまえば、簡単だと思わないか」
 覗き込んでくるギリアムの瞳の中に混じる、濁り。
 ゾッと背中を撫で上げるそれに皆本は奥歯を噛み締め、ギリアムを睨み据える。
「そう簡単に、屈すると思うか……!」
「知っているよ。君に超能力の類は効き難い。……でもまったくの効果がないわけじゃない」
 強がる皆本に対してギリアムは涼しげな表情を保ったまま、嘆かわしいと息を吐いて皆本を解放する。含みを持たせるギリアムの口振りに、焦燥が湧き起こる。
 嫌な予感が、胸の中で渦を巻く。
「人間にはいくつの絶望が存在しているだろうか。……君はいくつまで耐えられるかな?」
「貴様っ……、なにをするつもりだっ!」
 拘束されたまま、皆本は激情に身を乗り出して吼える。だがその激情も、ギリアムの冷めた眼差しに見つめられて急激に萎む。手指の感覚が薄れるほど、血の気が引いていく。
 蒼い顔をする皆本を見て、ギリアムの瞳に温度が戻る。
「殺しはしないと言っただろう? それも君次第ではあるが、君の飼い主は誰だい」
「な……にを、言っている……」
 振り幅の大きいギリアムの感情に、皆本の背中に冷や汗が伝う。
 ギリアムの問いに対し、その意図が読めず皆本がはぐらかして答えると大仰に肩を竦められた。見下げる視線に篭められたのは、嘲りか。
「愚鈍を演じるのはよくないね、皆本君」
 溜息を吐いて伸ばされたギリアムの手が、皆本の胸を辿る。
 ぴくり、と跳ねた身体に皆本がそれを誤魔化すよう、身を捩って暴れるが、抵抗は無意味だ。
「この身体は他人に触れられることを知っている。それが快楽に繋がるとも知っている」
「……っ」
 見開かれた皆本の目に、ギリアムの目が喜色を孕んで細められる。
 胸に置かれた手がゆっくりと何かを探り出す。淡泊な指先はシャツ越しに突起を捉え、それを押し潰した。
「っ」
 身体を反応させ、声を押し殺す皆本にギリアムの笑い声が空気を震わせる。
「ほら。正解だ」
「……ただ敏感なだけだ」
 嬉しそうに呟いたギリアムに憮然と言葉を返し、皆本は無体を非難する。
「なるほど。そういう言い逃れも出来るね。でも嘘を吐くのはよくないな」
 ギリアムは感心して洩らし、皆本の顎を掴み上げた。ギリアムの表情から、それまで貼り付けられていたにこやかな仮面が剥がれ落ちる。
「素直に口を割ったほうが利口だ。君も痛いのは嫌だろう?」
 笑みを浮かべたまま、顎を掴む手に篭められる力の強さに、皆本はぐっと込み上げる呻きを飲み込んだ。
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