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  浚う腕 前編  

 迂闊だった。
 そう舌打ちしたい気持ちを耐えて、紅葉は己を囲う黒服の男達をサングラスの下から睨み付けていた。どうにか一緒に居た子供達を、先に瞬間移動で離脱させることが出来たのは幸いか。しかしECMを発動され、ECCMの用意もしてきてはいたが、それでは瞬間移動出来るだけの超度を取り戻すことは出来なかった。
 抵抗するだけ無駄だと大人しく投降すれば、男達は予め用意していたESP手錠で紅葉を拘束した。今は、子供達が呼んでくれる助けを待つしかない。
「ふん。助けを期待するだけ無駄だ」
 囚われの身となっている紅葉に失意の色が見えないことが癇に障るのか、男は高圧的にそう言い放ってくる。だが紅葉にはそれが強がりにしか見えず、怯むこともなく男を見遣り、どうかしらね、と笑みを浮かべた。
 実力では何も出来ない普通人風情がいい気なものだ。数で押して捕らえることが出来たのがたったの一人。この現実が自分達の無力さを表していると言うのに、調子に乗るのも大概にして欲しい。
 ――しかし。
 なんだかんだと考えながらも現状は不利であることに変わりない。どこかに隙があれば道は開けるかもしれないが、手首に冷たく絡むESP手錠が邪魔だ。それに依然としてECMも作動している。どうにかESP手錠を外すことができたとしても、ECMの影響外まで抜け出さなければ超能力も使うことが出来ない。
 紅葉は表面の余裕を崩さずに、だがその皮膚の下で冷や汗を流した。

 長い間放置され続けてきた倉庫は古く、時折潮の匂いの混ざった隙間風を中へと入り込ませてくる。時間が経つにつれて外の気温は下がってきているのか、倉庫全体の室温も下がり始めていた。
(ったく。アンタらはスーツ着込んでるから余裕でしょうけどこっちは寒いのよっ)
 縛られてはいない足を組むと、広くはない内部にパイプ椅子の軋みが響いた。その音に男が紅葉を振り返り、険を孕んだ視線を寄越してくる。
 大方、紅葉が気を逸らす為にわざと音を立てたと考えているかもしれない。銃を構え直す男を詰まらなく見遣って、紅葉は男へと声を掛けた。
「ねぇ。ここ少し寒くないかしら? 身体が冷えて風邪引きそうなのよ」
「うるさいっ。人質は大人しく黙ってろ!」
 喧しいほどに張り上げられた声には、思わず耳を覆いたくなる。気が立っているのか、無抵抗の人質を相手にしているにしては余裕が感じられない。
 叫んだきり背を向けてしまった男に、紅葉は小さく溜息を吐き出す。仲間が救出に来るまでの時間潰しの相手になってもらおうと考えていたのだが、気の利かない男だ。
 しかし、相変わらず剥き出した肌に触れる冷気は、容赦なく紅葉から体温を奪っていく。寒さを紛らわせようと落ち着きなく身体を動かしていれば、その気配に気付いたのか再び男が振り返った。絡んだ視線に強気に睨み返しても、今度は男の表情はぴくりとも動かなかった。
「?」
 不躾な視線も最初は無視していた紅葉も、いつまでも外されないそれにだんだんと不快感が込み上げてくる。それだけでなく、向けられる視線の中に含まれた何かを感じて、肌がざわつく。
 その男の変化は傍にいた別の男達にも伝わったのか、皆一様に最初に紅葉を振り返った男に視線を遣り、紅葉を見つめてくる。その光景は恐ろしく気色悪い。だが、本当に気色悪いのはその視線に滲む男達の欲望だった。
 男達の視線は、全身を舐め回すように紅葉の身体を這っていた。
 組まれた両脚はスラリと長く、椅子の上に乗ったくびれた細腰。両腕を後ろへと回しているせいで突き出すように強調された豊かな膨らみ。覗く谷間も、剥き出しの肌も白い。
 抵抗する術もなく良質の女が拘束され、無防備にそこにいる。
 ごくり、と最初に生唾を飲み込んだのは誰だったのか。視覚的に与えられる魅力的な情景に、男達の興奮は連鎖していく。
 ガラリと雰囲気を変えた男達の様子に、紅葉は嫌悪を抱きながらもただじっとしていた。今男達を刺激するのは逆効果に過ぎないと、考えるより先に分かっていた。
 異様な膠着状態の中、リーダー格の男がまず動いた。紅葉へと近付き、正面に立つと上から無遠慮な視線を落としてくる。
「そう言えば、寒いと言っていたな」
 男の言葉には下卑た響きが籠もっている。元より、それを隠すつもりもないのだろう。紅葉が不快感を露にすると、男の唇が満足そうに歪められた。
「そうね。でももういいわ」
「遠慮することはない。我々も、折角の商品に風邪を引かせるわけにはいかないのでね」
「商品……?」
 不穏な言葉に紅葉が聞き返すと、いかにも、というように男は頷いた。
 そう言えば、この男は紅葉を拘束してから暫し倉庫の外に出ていたような気がする。その間に、どこかと何らかの取引を行っていたということか。
 超能力者の人身売買など、今更驚くこともない。パンドラの中には普通人に売られそうになっていた所を助けた仲間も居る。歳も性別も能力も問わず、超能力者は高く売れる(勿論、超度は高いに越したことはないが)。それを生業とする普通人が居てもおかしな話ではない。――まさか、自分がまさにそんな目に遭うとは思いもしなかったが。だがそれは被害者は皆思うことだ。
「……最低ね。アンタ達」
 吐き棄てるように呟けばその声が届いたのか空気がざわついたが、紅葉の傍に居る男だけは気配を変えなかった。
「強気なお嬢さんだ。私は嫌いではないがね」
「嬉しくない褒め言葉ね。普通人に好かれても吐き気がするだけよ」
「達者に動く口だ。少しは怯えているかとも思ったが……、だが、その方が私達も楽しめる」
 その言葉が合図であったように、数人の見張りを残して男達が近付いてくる。その中に躊躇いの気配はなく、残された男達も羨ましそうに彼らを見ている。
 これから何が行われようとしているのか、気付かないわけがなかった。どれも凡庸な男達に囲まれたまま、紅葉はもう一度、最低ね、と低く吐き出した。
「寒いなど感じなくさせてやろう。その綺麗な顔に傷を作りたくなければ、大人しくしていることだ」
 そう告げて腕を伸ばしてくる男を、紅葉は逸らすことなく睨み続けていた。
 ――その時。
 倉庫全体を揺るがすような爆音が響き、男達の注意は皆一斉に紅葉から逸れた。それが、全ての決着がついた瞬間だった。
 唐突に自由になった両腕に驚いている間もなく身体を何かに包まれ、目を白黒とさせている間に身体は一瞬の浮遊感の後、逞しい腕に抱かれていた。傍に感じる温もりに安心感を抱いていれば気遣うような声音で名を呼ばれ、紅葉は笑みを浮かべて顔を上げた。
「助けに来るのが遅いんじゃない? 真木ちゃん」
「すまん。少し手間取ってな」
 眉を寄せ、素直に謝罪する真木がおかしくて噴き出すように笑いを零せば、何故笑われているのか分からないのか、更に真木の眉間に皺が刻まれた。
 真木のその態度は普段と変わりないが、それでも明らかに安堵が見え隠れしている。それは、紅葉が無事だったからだろうか。
「ありがと、真木ちゃん」
 囁きに無骨な男の頬が仄かに赤く染まる。それを紅葉が指摘してやるより先に、場違いの呑気さを滲ませた声が上がった。
「あーっ! 真木さん何一人でイイカッコしてるんすか! 全部俺に任せてないでちっとはアンタも手伝って下さいよ」
 銃声に混じって響いた声に、真木はどこか複雑な顔をして紅葉を見下ろす。一人にして大丈夫か、不安なのだろう。しかし紅葉は彼らに何かをされたわけではないし、先程の爆音はECMを破壊する音だったのか、超能力の感覚も戻ってきている。
 大丈夫だという意味を込めて笑みを見せれば、しばらく見極めるように紅葉を見つめていた視線が微かに和らぐ。
「それに私だってお返ししてやらなきゃ消化不良でお肌に悪いわ」
「……ほどほどにしておけよ」
 軽く頭を撫でる男に了解、と微笑んで、紅葉は真木と共に銃を乱射する男達の中へと飛び込んだ。

 アジトに戻れば先に返した子供達に心配したと謝罪と共に泣きつかれ、それを宥めるのに一苦労だった。無事で良かったと兵部に安堵の笑みを見せられた時には、この人にまで心配を掛けてしまった居た堪れなさと心配してくれていた嬉しさとで、どう言葉を返したのかも分からない。
「一番心配してたのは真木さ。血相変えて慌てるアイツの姿は初めて見た気がするよ」
 そう去り際に楽しそうに囁いた兵部の言葉に、紅葉は自然と頬が赤らんでしまうのを抑えられなかった。どうしてか、彼にそれを告げられるのはどうしようもなく恥ずかしかった。
「どうかしたのか? 紅葉」
 不安に、不思議そうに声をかける真木に何でもないと首を振れば、そうか、と言葉を返しながらも心配する視線は外れない。
 真木の部屋を訪問した紅葉を、彼は拒まなかった。整然と片付けられた内装は、部屋の主の性格を如実に現している。ベッドのシーツにすら一本の皺も見つからなくて、その完璧さに紅葉は八つ当たりのように勢いをつけてベッドに腰を下ろした。
 そんな紅葉を真木は何か言いたそうな表情で見つめていたが、結局は言葉を飲み込んで脱いだ上着を椅子の背へとかけた。そしてネクタイを緩めていた最中、思い出したように真木は紅葉を振り返る。
 知らず、じっと真木の背中を見つめていた紅葉はそれが急に振り向いたことに、慌てて自分を取り繕った。
「ど、どうしたの? 真木ちゃん」
「腕を見せてみろ、紅葉。両方だ」
 唐突なそれに紅葉は首を傾げながらも言われた通りに両腕を真木へと差し出し、あ、と気付いた。
 細い手首の辺りには薄く幾重の赤い線が走っている。ESP手錠を嵌められていた時に出来た擦過傷だろう。言われなければ気付くこともない程度のものだが、それでも傷が残っていることが気に食わないのか、真木の表情は険しい。
「大丈夫よ。これくらい。舐めれば治る――」
 紅葉はそう、真木を安心させる為に冗談で言ったはずだった。だが。
「あっ」
 大きな手に腕を掴まれ、そこへと顔を寄せた男の生温かい舌が手首に這う。そのぞくりと肌が粟立つ感覚に反射的に腕を引こうとしても、がっちりと掴んだ手がそれを許さない。
 傷を癒すようにねっとりと舌を這わされ、肌を濡らす唾液を薄い唇が吸い上げる。
「真、木ちゃん。何して……」
「舐めれば治るのだろう?」
 至極真面目な顔をしてそう告げる男に、呆れ以外何も湧くことはない。冗談だと今更告げても軽くいなされて終わりだろう。
 ぞくぞくと疼きを覚え始めた女の部分にやるせなく眉を寄せて、紅葉は真木の顔を上げさせると自ら唇を重ね合わせた。
「ん、ふ……っ」
 覗かせた熱い舌先に震える口唇をやんわりと押し開かれ、口内を舐られる。舌を差し出せばすぐに絡め取られ、強く吸引されると身体の力が抜けていく。
 縋るように真木に抱きつく手に気付いたのか、真木は一度唇を離すとゆっくりと紅葉の身体をベッドへと横たえさせた。ベッドに髪を散らす紅葉へとベッドを重く軋ませながら男が覆い被さり、今度は真木から優しく濡れた唇を塞ぎ込んだ。
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