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  お兄ちゃんは心配性  

「眉間に皺が寄ってるわよ?」
 唐突に話しかけられた声に真木はびくりと肩を揺らし、慌てて背中を振り返る。そこにいた紅葉が不思議そうに首を傾げるのに、ゆっくりと息を吐き出して身体を戻す。
 時計に目をやればどうやら随分と長い間集中していたようだ。
「部屋に入るときはノックくらいしろ」
「したわよ? でも真木ちゃんが返事しなかったんじゃない」
 だからといって無断で入る理由にはならない。ならないが、幼い頃から共にいたこともあるのか、ただの面倒臭がりか、返事の前にドアを開けられることもしばしばだ。
 呆れを溜息で押し殺して、真木は一時データを保存すると机上のパソコンから紅葉へと身体を向けた。
「それで? 何の用だ?」
 椅子の背に深く身体を預けながら、傍らの紅葉を見上げる。
「……なんだったかしら?」
「は――」
 聞き返されても分かるはずがない。
 紅葉は紅葉で、真木がさっさと自分に気付かないからだと文句を告げ始めて――、つい、癖のように謝ってしまう。
 真木に何の非もありはしないのだが、それで満足そうにする紅葉に、何だか腑に落ちないものが込み上げてくる。そういうところは育ての親に似ているかもしれない。彼も紅葉も、そうして真木が困っているのを見て楽しんでいる。悪意がないから許せるものを、甘やかしすぎかとも、たまに思ってしまう。
 用事を思い出すまではここにいるつもりなのか、動こうとはしない紅葉はその辺りは律儀だろう。ここに集まるメンバーの中では古参で年上と言うこともあるからか、大雑把な時もあるがしっかりともしている。
 ただの暇潰しでいるのではないと、思いたい。
 そうしてふと、思い出す。
「ああそう言えば、聞いたぞ。紅葉」
「何を?」
 問い返す紅葉に、それを聞かされたときのことを思い出して眉間に皺が寄る。だがそれが不快に感じたのだから、仕方ない。
「今度出掛けるのだろう。バベルの賢木と皆本と」
 情報を齎してくれたのは澪だった。そのことにも驚きはしたが、澪は今、ザ・チルドレンと同じ中学に通っている。紅葉と彼らが子供達を介して連絡を取ったのはすぐに想像がつき、そしてそれは外れていなかった。
 一体何を考えているのか。
 誘いをかけてきたバベルも、それを受けた紅葉も。
「断る理由ないもの」
 そう答える紅葉に疚しいものはないのか、実にあっけらかんとしている。
「それでも向こうから接触を持ってきたということは、何かしらの目的があるからだろう。軽率じゃないか?」
 それに、断る理由ならばある。いくら現在、彼らがパンドラに手出し出来ないとはいえ、敵対する関係にあることに変わりない。そんな時期に接触を取ろうとしてくるということは、政府絡みの何かがあると考えるのが妥当か。
 まだ紅葉はバベルとの接触も少ない。それでもないわけでもなく、それが今動くということは、紅葉が表立って行動した――駐日ロビエト大使の秘書として動いたアレが原因か。
 マッスルのお陰で、日本政府は大分譲歩を強いられているし。マッスルがどうにもならないとわかったから、他に目を付けたのか。
 女である紅葉ならば、御し易いと考えたのか。
「真ー木ちゃん。怖い顔してるわよ?」
 つい、紅葉を放って考え込んでいると、眉間に刻まれた皺を突きながら紅葉が明るく振る舞う。
「考えがないわけじゃないのよ? でも、もし私が断れば他に策を仕掛けてくるかも知れないし、それが子供達に向くかもしれないじゃない。あの子達、オカマノフ大使の身内なんだから」
 紅葉の言い分は間違ってはいない。相手が手段を選ばなければ、子供達に手を出さないという可能性もない。
 何を企んでいるのかは不明だが、警戒しておくに越したことはないだろう。
「それに、普通人と接触感応能力者でしょう?」
「賢木の方は棒術も使えるらしい」
「へぇ。けど、いきなり女の子に対して手をあげたりしないでしょ」
 呼び出す手前、手荒なことはしないだろう。それに、子供達が繋がっているのだから今回のことはザ・チルドレンの耳にも入っていそうだ。……皆本を慕っている女王は、彼が紅葉と会うことを知っているのだろうか。
 じっと紅葉を見つめていれば、それが不躾過ぎたのか、紅葉に睨まれ真木は慌てて視線を外した。
「あー……、あまり羽目を外しすぎるなよ」
「やだ。真木ちゃん心配してくれてるの?」
「からかうな。――当たり前だろう」
 幼いときからずっと一緒にいる家族だ。紅葉も既に成人を越しているとは言え、真木にとっては関係ない。絆は強く深く、想うのは当然。
 視線を逸らした真木の頬がどこか赤いように見えて、紅葉は緩みそうになる頬を抑えられない。首に腕を巻き付けるように抱きつけば、真木はびっくりと身体を強張らせるのだから、たまらない。
「だから私真木ちゃんのこと好きよ」
「……そうか」
 どう返していいのかも分からずただそれだけを返せば、くすくすと楽しそうに紅葉は笑い声を立てた。

「――あ。思い出した」
 不意に呟いた紅葉に、真木は視線で用件を促す。
「オカマノフ大使から連絡があったのよ。折り返してくれってさ」
 ひらり、と手を振って部屋を出て行こうとする紅葉を見送りながら、真木は時計へと視線を移した。……紅葉が真木の部屋に来てから大分時間が経っている。きっと今電話を掛ければ喧しいことになるだろう。だが掛けなくても喧しいことになる。
 紅葉がわざわざマッスルの名ではなく、世間的な名を出したのだから、十中八九、親善大使としての仕事の話のはずだ。
「……それを早く思い出せ」
「ちゃんと伝えたわよ」
 悪びれることもない紅葉の口振りに、自分でも眉間に皺が刻まれるのがわかった。
「紅葉」
 携帯へと手を伸ばして、真木は紅葉の背中へと声を投げ掛ける。
「なぁに? 真木ちゃん」
「――露出の多い服は控えろよ」
 しん、と部屋の中が静まり返る。
 紅葉は己の服を見下ろして、真木へと視線を向けた。
「真木ちゃんのえっち」
「! ち、違っ。そういう意味ではなく――!!」
 否定しようにも紅葉は慌てる真木を尻目に部屋を出て行き、扉の閉まる音に真木は大きく溜息を吐き出した。
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