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  冬の過ごし方  

 いつもの如く報告書やら始末書やら始末書を書き上げて職場を後にした帰り道。まるで待ち構えていたかのように街灯の下に佇んだ人影に、皆本は喜びを込み上げさせる前に疲れた表情を顰めさせた。
 秋の涼しげな夜気を楽しむ間もなく到来してしまった木枯らし一号。すっかりと冬の準備をしなければならなくなった気候に、陽が沈んだ後はその冷え込みも一段と増している。にも拘らず、こんな夜更けまで皆本を待っていた人物はいつもと変わらない学生服姿。白い肌が余計に寒々しく見える。
「こんなことで風邪引いても僕は看病しないぞ」
 何を思い見上げていたのか、薄汚れた夜空を見つめる横顔にやや忠告めいた言葉をかけると、振り向いた顔が柔和に微笑む。……瞬間、跳ねた鼓動が忌々しい。見慣れた顔の見慣れぬ表情に、いつも心は狂わされる。
 兵部は一歩、皆本へと足を踏み出すと、手を差し出し軽く首を傾げた。
「迎えに来た」
 それくらいは見れば分かる、と素直じゃない捻くれた心が疼く。じっと、差し出された手を見つめて、皆本は溜息ひとつで自身と折り合いを付けるとその手を取った。手指の冷たさが伝わってくる。一体いつからここにいたのか。
 冷たさに怯んだ指でしっかりと包み込むように握り締めて、どうせ他に誰もいない深夜の帰り道。皆本はその手ごと、コートのポケットに突っ込んだ。
「寒いからな」
「そうだね」
 ふわり、と笑んだ兵部に皆本は赤らんだ顔をそっぽ向けて歩き出す。隣でくすくすと控えめな笑い声を上げる兵部は、気付いているのか。――気付いているから、笑っているのだろうが。握った手に、汗が滲む。

「あ」
 ただゆったりと二人のペースで歩みを続けていると、飛び込んできたコンビニエンスストアの光に兵部が小さく、声を洩らした。ついでに止まってしまった足にどうした、と顔を覗き込めば、兵部は白い指でコンビニを指差す。
「寄ろう」
「? いいけど」
 どこか楽しげな兵部に断る理由もなく頷けば、折角繋いでいた手を離して、兵部は一人歩いていく。
 あんなに繋いだ手は暖かかったのに、今は寒い。
 兵部に遅れるようにして店内に入れば、いらっしゃいませ、とバイトのやる気のない声と温められた空気が身を包んだ。探すまでもなく、兵部はすぐ傍にいた。何かを探すようにきょろきょろと顔を動かして、そのまま陳列棚には向かわずレジへと向かう。
「ほら、皆本くん。まだ残ってた。君は何がいい?」
「え?」
 首を傾げながら兵部の元へと向かえば、指差すものに意図は知れた。
「肉まんとピザまん。どっち?」
「……どっちにしようかな」
 悩む皆本に、兵部がほんのりと口許に笑みを浮かべる。
「お腹空いてる?」
「ああ。空いてきた」
「わかった。すみません」
 皆本へと頷いて、兵部は店員に声をかける。やはりあまり覇気の感じられない声で返事をした店員がやってきて、一度、兵部と皆本を胡乱に見遣った。
 学生服姿の少年と、スーツ姿の成人男性と。一体この店員は二人の関係をどう勘繰ったか。あれこれ店員に指示する兵部の横顔を見つめながら、その白い頬がほんのりと色味を増しているのを確認して、皆本はレジが済むまで見るともなしに店内を眺めていた。
 お待たせ、と腕を引く兵部に連れ出されるまま外に出て、温度差に身震いが起きる。元同居人と現同居人の子供達はちゃんと暖かい格好をして眠っているだろうか。……いや、現同居人はまだ起きているかもしれない。寒くない格好をしていれば良いのだが。
 そんなことを考えていると、差し出されたそれに反応するのが遅れてしまった。慌てて受け取り恐る恐ると兵部を見るが、どうやらアツアツの肉まんに満足しているらしく、お咎めはなしらしい。
「……熱っ」
 ぱくり、と一口齧り付いた紅い唇が、すぐに熱い熱いと言いながら離れる。表面の温度に慣れはしても、中身はまだ十分熱かったのだろう。
「バカ。ちゃんと冷ましてから食べろよ」
 子供が拗ねるように唇を尖らせる兵部に苦笑して、肉まんを握る手を引き寄せる。湯気を立たせるそれにふー、ふー、と息をかけ、あれそういえばとはたと顔を上げれば、そこには目を丸くさせた兵部の顔があって。
 温度が奪われていく手と、代わりに内から込み上げてくる熱に、皆本はみるみる顔を赤らめた。慌てて兵部の手を離せば、腕に下げられた袋ががさ、と音を立てた。
「あ、いや、その、これは癖っていうかなんていうか……」
 言い訳を作ろうとしても言葉が出てこない。しかもわたわたと弁解の為に手を振れば、そのまま肉まんを落としてしまうと言う失態付き。すぐに拾い上げても一度地面に落としたものは食べれない。
 折角買ってくれたのに。と砂利のついた肉まんを前に途方に暮れていると、遠慮のない笑い声が響く。
「まったく君って子は……。もう少し落ち着きなよ」
「うるさい」
 今度は皆本が拗ねて唇を尖らせる。落としたこれはどうしようか、なんてどうでもいいことをつらつらと考えていると、ん、と差し出されたもの。
「半分こ」
「でもお前が食べたかったんだろ?」
「一緒にいるのになんで僕一人で食べなきゃいけないのさ。それに君とやってみたかったんだよ、コンビニで買い食い」
 そう告げた瞳はあたたかくて、優しくて、皆本は半分に割られたそれを震える手で受け取る。
 照れ隠しでそのまま齧り付けば肉まんはまだ熱かったが、おいしかった。
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