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  ガラス越しのキス  

「なにしてんだ」
 呆れに近い声音で皆本は呟き、ベランダに立ち手を振る男を見つめた。普段ならば家主の許可もなく堂々と中へと侵入してくるというのに、一体何の気紛れか。
 手招きする兵部に仕方ないと近付き、かけたままだったカギに手を伸ばそうとした時。
「ねぇ」
 楽しげに掛けられた声に、皆本は胡乱に兵部を見遣る。
「君は有りの人?」
「……なにがだ」
 言っている意味が分からないと眉を寄せれば、兵部は苦笑するように笑った。
 顔を近寄せて、紅い唇がゆっくりと動く。なぜかそこから、目が離せない。
「ガラス越しのキス」
 瞬間、茹だるように身体が火照った。何を言っているんだ、と声を上げたかったのに、喉が張り付き声は出なかった。
 兵部は微笑んだまま、ガラスに手をついて顔を更に近付けてくる。切れ長の瞳を睫毛に縁取らせて、まるでそれに吸い寄せられるように、皆本も兵部の手に己の手を重ねるように手をついていた。
 唇に触れるのは、薄くて、でも柔らかく感じるぬくもりではなく、冷たく無機質なガラス。皆本の熱を移してぬるくなるガラスがもどかしく感じて、傍にいるのに触れられない温もりが遠い。
 焦れて、焦がれた指先がガラスを掻き、小さく甲高い音が響いたのに我に返りガラスから離れれば、そこに残る口付けの痕。ひとつしかないそれは、二人の唇が重なっていたから? それとも――。
 カッと頬に上る熱に皆本が無意識に後ずされば、背中に当たる何か。そのまま二本の腕に捕らわれるように抱き締められて、正面を見つめればそこにあるはずの人の姿はない。
「物欲しそうな顔」
 くすりと、耳元で小さく、楽しそうに嬉しそうに囁く声。もがけば、拘束する力が強まった。
「今度は抜きでやろうか。――ガラス越しのキス。ガラス抜きで」
 締め付けるように更に腕に力が加わり、横顔に掛かる吐息に身体を震わせながら、皆本はゆっくりと振り向く。
「……ばか。それじゃただのキス――」
 塞ぐ唇に言葉は奪われる。
 皆本はガラスに残されたままの痕を見つめると、静かに瞼を落とした。
「ん、…んっ……」
 唇を啄ばまれて、力の抜けたそこへ差し込まれる熱い舌。歯列をなぞり、粘膜を擦って口内を掻き混ぜられながら、ただ優しく蹂躙する舌に己のそれを触れ合わせれば、笑うように息を抜かれて熱い舌が絡み合う。
 首だけを後ろへと捻った息苦しい体勢。拘束する腕は強くて、朧に感じ始める意識は足りない酸素の所為なのか、甘く蕩かすような口付けの所為なのか。
「…は、ぁ……」
 じんわりと、腰が甘く痺れ出す。背筋をぞくぞくと這い上がってくる官能に、回された腕に縋り付く。甘やかすように舌先にくすぐられて、逃げようとすれば頭を抱え込まれて更に口付けは深くなった。
 きつく舌を吸われ、どうしようもない渇望が皆本の中で芽生え始める。だのに絡ませた舌が逃げる素振りを見せ、皆本は自らその舌を追いかけて兵部の口内へと舌を差し込んでいた。舌を絡め、唾液を交わす。喉を鳴らす音にさえ湧く羞恥も、舌を吸われれば消えていく。
 濡れた唇を啄ばんで、乱れた熱い息を吐きながら唇が離れる。
「もっと欲しくなった? ……いやらしい顔になってる」
「っぁ…」
 顎を掴んで顔を反らされ、うなじに熱い舌と息が這う。ガラス窓に見える外の風景の中で、ほんのりと透かして見える自分の顔に頬に熱が集まる。ちくりと刺すような痛みに身体を震わせて喘ぐと、兵部は舌を這わせたままゆっくりと顔を上げた。
 胸を、腰を抱いていた手が静かに下肢へ伸ばされる。抵抗するように捩った身体は、耳朶を甘噛みする唇に陥落する。
「ここを、こんなに熱くして……。本当に君は、いやらしい子だ」
 耳元で、卑猥に濡れた声で兵部は囁く。違う、と左右に振る首に力はなく、熱を揉み込む手指の感触に息が乱れる。それでもどうにか、皆本は内に溜まる熱を吐息に混ぜながら抗議の声を上げた。
「お、前が……、あんなキス、するからだろっ」
 だから仕方のない反応だと主張する皆本に、兵部の唇は楽しげに弧を描いた。
「なら君は、他の誰かに同じようなキスをされたら、その相手に対してもここを熱くさせてそんないやらしい顔をするのかい?」
 意地悪な声は緩やかに皆本を追い詰める。そんなことはないと否定すれば、こうなるのは兵部が相手だからだと認めるようなものだ。
 違うと思う。でも違わない。こうなるのは相手が兵部だからだと、わかっている。
 俯いてしまった皆本に兵部はこっそりと苦笑すると、肩を引いて向き合った身体をガラスへと押し付けた。驚き、目を瞠って皆本は兵部を見つめ、兵部は苦笑いを仕方ないとでも言うような笑みへ変えて静かに触れるだけの口付けを落とす。
「そこはちゃんと否定してくれなきゃ。自惚れも許さないとは、君は卑怯だね」
「そんなっ、こと……っ!」
 顔を歪ませて皆本は首を振り、シャツを捲り上げて胸に顔を埋める兵部の肩を掴む。引き離そうと力を込めても、乳首にかかった吐息に腰が震え力が抜けていく。
 どうすればいいのか、何も言葉を吐き出せない唇を戦慄かせて、皆本は霞む日常の風景にきつく瞼を落とした。
「っ、僕、が、こういうことをお前に許してる時点で、……分かれよ!」
 尖り始めていた乳首に舌を伸ばしていた兵部はその叫びに一瞬動きを止めた。きっと今自分は真っ赤な顔をしているのだろう。その自覚を誤魔化せないほどに頬が熱い。兵部が小さく、だがはっきりと分かってるよ、と囁く声にそぉっと瞼を持ち上げると、普段あまり見せない柔らかい表情を見せて、兵部はもう一度、分かってるよ、と囁いた。
 自分勝手な我侭を兵部に押し付けていると分かっているのに、兵部はそれを受け入れる。それは、接触感応でいつでも皆本の心が透視出来るからじゃない。それだけ皆本を理解して、自信があるからだ。
 囁きにしばらく思考停止していた皆本は、我に返れば途端うろたえた。その表情に忍び笑いを零しながら、兵部が舌を乳首へと這わせる。くすぐったいような、むず痒いような、でもそれだけではない刺激に身を捩れば、足の間に膝を捻じ込まれて身動きが取れなくなる。
 背中のガラスのことを考えれば下手に暴れることも出来ない。……そのつもりも、もうなくなってきているけれど。
「…っは、…んっ……」
 ねっとりと乳首を舐め上げられ、緩く歯を立てられ腰が跳ねた。硬く凝り始めた乳首をきつく吸われて、快感が全身を走る。指先に無意識に籠もった力に兵部もそれを感じ取ったのか、もう片方も指で弄られるとびくん、と身体がしなった。その背後で、ガラスが音を立てて揺れる。
 その音に焦って兵部の身体を押し離そうとしても、乳首に絡められた舌に、きつく吸い上げる唇に、皆本の腕は胸に埋まる頭を抱え込み離せない。指に髪を絡ませ、離したいのか押し付けたいのかも分からなくなってくる。
 淫猥にじゃれついてくる舌に、思考がぼんやりと蕩けていく。弄られ続けて神経を敏感にさせていく乳首を爪で引っ掻くようにくすぐられて、どうしようもない熱が下肢にわだかまる。ぞくぞくと肌が震える疼痛がだんだんと気持ちよくて、愛撫を止められると物足りない熱を吐いてしまう。
「っも、いい加減に……っ」
「こっちを、触って欲しい?」
 乳首を噛まれながら前を握られて、竦むように身体が震える。じわり、と下着が濡れる感触がたまらなく恥ずかしい。無意識に噛み締めていた唇に、胸から顔を上げた兵部の舌が触れる。形をなぞるように舐められて、思わず緩めた隙に舌が入り込んでくる。
 夢中で舌を絡ませ合いながら、乳首を抓み弄る指に息が続かない。焦らすように軽く触れられるだけでも、力の抜けていく膝が崩れかける。しがみつくように抱きつき、きつく睨み据えても兵部は笑みで交わして宥めるようにぽんぽんと軽く背を叩く。からかう言葉と、吐息を添えて。
「君の身体が感じやすいからだろ?」
 笑う視線と、睨む視線が絡む。
 込み上げてきた怒りと羞恥を抑えて睨み続けていれば、兵部は緩く息を吐いて引き結ばれた皆本の唇に己のそれを触れ合わせた。
「好きな人に触れられて感じるのは、当然だろ?」
 言い換えられた言葉に、押し付けられた熱に視線が泳ぐ。
「好きな子が自分の手で乱れる姿を見て欲を抱くのも、当然だ」
 くすりと笑い、強引に捻じ込まれた舌に口内を掻き回されて、また更に押し付けられる腰に躊躇していた手が兵部の背を掻き抱く。貪られるような口付けに応えれば、兵部の唇が笑みを浮かべたような気がした。
 熱い吐息を洩らしながら着衣のまま腰を押し付け合うように身体を揺らして、上昇する甘美な熱に酔い痴れる。うるさく音を立てるガラスの存在すら、意識に入らない。
「あ…、は…ぁぁ……っ」
 甘く淫らな性感が奔流のように押し寄せてくる。急く呼吸に喘ぐ口を塞がれ舌をきつく吸われ、同時に乳首を押し潰すような強さで摘み上げられて、皆本は大きく身体を揺らすと離された口を戦慄かせて熱っぽい息を吐いた。
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