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  遠いきみ  

 兵部がその少年に初めて出会ったのは、もう10年ほど前の話だ。
 全国各地で行われた全国一斉ESP検査。そこで見つかった超能力保有者。しかもそれはまだ若干5歳という少年。
 高い超度の能力を保有しているということで、その少年は一時バベルに預けられ超能力に関する教育を受けることになったのだ。
「もうねっ。すんっっっっごく可愛い子なの!」
「………………ああ、そう」
 テンション高く兵部を引っ張ってその少年が待機しているという部屋に向かうのは、兵部の同僚である、不二子だ。兵部が今朝バベルに登庁してきた瞬間に、こうして捕まえられ一緒に行動する羽目になってしまった。
 不二子のテンションに辟易しながらも、別に兵部とてその少年が気にならないわけでもない。ただ低血圧の為に、不二子のように朝一からこうもテンションを上げられないだけだ。
「んもう、ノリ悪いわねぇ」
「だって男の子だろ? どうせなら僕女の子のほうがいいし」
「あら」
 素直に心情を吐露すれば、不二子はぴたりと足を止めてくるりと振り返る。不二子の念動能力によって引き摺られていた兵部の身体が、慣性に従い手前につんのめって止まった。ようやく自由を取り戻した己の身体に、兵部は身を正す。
 なにやら企み顔で満面の笑みを浮かべる不二子に、兵部は嫌な予感がしつつも「なに」と素気無く言葉を返す。しかし不二子はやたらと上機嫌に笑うばかりで何も告げようとはせずに、また背を向けて歩き出してしまう。
 今度は兵部も自分の足で歩きながら、不二子の後を追った。ここで踵を返そうものなら強制連行決定だ。長年続いてきているこの上下関係はすっかりと身体に染み付いてしまったのか、悔しいかな、今更下剋上など果たせない。
「逢ったら絶対気に入るわよ」
 ウインク付きでそう語る不二子が辿り着いたドアを押し開き、意気揚々と中に入っていく。
 その部屋はバベル内に存在している子供部屋のひとつだ。中には遊具や人形、絵本などがきちんと整理されて置かれていた。その部屋の中央に、少年は居た。
「久し振りねー、光一君っ。覚えてるー?」
 以前にも会ったことがあるのか。そんなことを思いながら、兵部は不二子の肩越しにひょい、と部屋の中を覗き込む。一目見て不二子に適当に言ってさっさと戻ろう、そう考えながら。
 だがそんな考えも、少年を見れば何処かに吹き飛んでしまう。
 唐突な来訪者にびっくりしているのか、眼鏡のその奥にあるアーモンド形の大きな目をぱちくりと見開いて、見上げてくる少年。バベルで支給されている水色のスモックを着て、その紅葉のような小さな手にはたった今まで読んでいたのか、本が握られている。その開かれたページには、5歳という少年が読むには難しいのではないかと思われる活字の羅列。
「…………あ。お、お久し振りです。不二子さん」
 兵部と視線が合った瞬間に、不二子の突然の来訪によって固まっていた小さな身体が動き出す。
 立ち上がり、光一は不二子に向かってぺこりと頭を下げる。そんな仕草にも不二子は胸打たれるのかきゃっきゃと一人騒ぎながら、背中に居る兵部の身体を光一の前へと引きずり出した。
「コ、レ。この前話したでしょ?」
「え、っと……。兵部、京介少佐……ですよね? 初めまして。皆本光一です」
 兵部に向き直り再び頭を下げる光一を、兵部はただじっと見下ろす。
 何も返事をしてくれない兵部に光一は首を傾げて、困惑気味に不二子へと視線を移す。だが不二子はなにやら意味深に微笑むばかりで、何も語ろうとはしない。
 再び兵部へと視線を戻すといきなり膝をついてしゃがみ込まれて、光一はびくりと身体を揺らした。
 そして何も言わずにぎゅう、と身体を抱き締められ、目を白黒させる。
「不二子さんっ。この子僕が育てていい? っていうか僕が育てるよ!」
「あら? 男の子より女の子の方が良かったんじゃなくて?」
「光一なら問題なし!」
「さっすが、京介!」
 展開についていけない光一のことなどほったらかしにして、兵部と不二子は二人だけで盛り上がる。ぱちぱちぱちと拍手まで送る不二子に、光一はおろおろとしながらも説明を求めるように視線を送った。
 たった今まで無表情だった青年に、唐突に抱き締められてなにやら聞き逃せない内容を話しているのだ。しかし状況が少しも飲み込めやしない。
 光一の困惑に、不二子は漸く答えてくれる気になったのか兵部に腕を緩めさせる。兵部は渋々というように腕の力を緩めたが、光一に対して浮かべた表情はひどく友好的だ。
「ごめん。可愛くてつい、ね。不二子さんから聞いてるみたいだけど、僕は兵部京介。よろしくね、光一」
「あ……、はい」
 兵部は乱れた光一の髪を整えて、手を差し伸べる。その手に、そっと添えられる小さな掌。きゅ、と握り締めれば、そこからあたたかな温もりがじん……と伝わって来る。
 その手を離すのがなんとなく勿体無く、兵部が腕に抱き抱えるとしがみ付くように腕を伸ばされる。
「あの、重くないですか?」
「うん? 平気だよ。それに、僕は念動能力を持ってるからね」
 物体を持ち上げるのは造作もないと暗に告げると、ほっとしたように光一は表情を緩める。しかし、抱き上げられているという状況が恥かしいのか、その頬は赤らんだままだ。
 ほのぼのとしたように見つめあう兵部と光一に、すっかり蚊帳の外へと追い遣られた不二子はあからさまに大きな声で溜息を吐いて存在を主張する。
 それに我に返った兵部は不二子と向き合い、「それで」と告げる。
「不二子さんが僕に光一を合わせた理由は?」
「光一君の教育係をあんたにしてもらいたいのよ」
「僕でいいの?」
 預けられる子供達の教育係には、きちんと専任の職員が存在している。人不足でもない現在、どうして兵部の手に預けるのだろうか。
 それが顔にでも現れていたか、不二子は兵部の腕の中に居る光一へと目を移す。
「超度7の能力者なんてそうそういないわ」
「……超度7、ね」
 今現在、日本だけでなく世界規模で見ても超度7の能力を保有するエスパーはいない。不二子が何を言いたいのか、予測のついた兵部はそれだけで会話を終わらせる。それ以上は今はまだこの少年に聞かせる話ではない。
 不二子が言いたいのは、この少年も何れは特務エスパーとして働くことを課せられるだろうということ。それ自体が、既に高超度エスパーに始めから義務付けられたことだ。そして光一の両親もそれに賛成しているのだろう。……せざるを得なかった、かも知れないが。
 そしてその教育も同時に行う為に、兵部が選ばれたのか。兵部もまた特務エスパーとして現場に出ることもある。
「これからよろしく。最初に言っておくけど、僕の教育方針はスパルタだから」
「大丈夫です」
 強気に頷く光一に、兵部は満足そうに頷いた――――。

 あれから月日は流れた。
 兵部の元で日々鍛錬する光一は、元々の素質もあったのかそう時間を掛けることも無く己の持つ超能力を自在に操れるようになった。直ぐにその頭角を現し、光一も普通人の現場運用主任と組んで特務任務をこなすようになった。
 その日々は充実していただろう。光一は直ぐに兵部に打ち解けた。笑い声や呆れた怒鳴り声が絶えず、いつも賑やかだった。
 だのに今、兵部に心を許し様々な表情を見せてくれていた少年は、その兵部をただ無表情に見下ろしてきている。そこに感情は何も窺えない。
「まったく。久し振りの再会だって言うのに随分冷たいじゃないか、光一」
「? 僕はアンタなんて知らない」
「知らないはないだろ。一緒にお風呂に入って寝た仲だぜ?」
 なんなら君の身体にあるホクロの数を教えてあげようか。笑みを浮かべながら、兵部は嘯く。
 少しでも油断してしまえば声が震えそうだ。絶望を感じていたあの時。光一かもしれないという情報を得た時に、どれだけこの身が歓喜に震えたか。彼が生きていることが嬉しかった。まさか黒い幽霊に捕えられていたとは考えなかったが、生きているだけ、いい。
 怪訝に顔を顰める光一を見つめて、兵部は光一に向かって念動能力を放った。だがそれがぶつかる前に光一は避け、兵部へと念動能力を放ち返す。小規模の爆発が起きたかのように爆音が響き空気が揺れる。
 しかし光一の攻撃は兵部には届かず、兵部の周囲には念動能力を応用した膜が張られていた。
「君は僕の名前を知っているかい?」
「知らない」
「そう……。僕は兵部京介だ。自己紹介するのはこれで二度目。ちゃんと覚えておきなよ」
「ふんっ。覚えてもどうせ直ぐに忘れる。アンタはここで死ぬんだ!」
 光一がそう叫ぶと、その背後で燃えていた火の勢いが増す。それはうねりを上げて空高く燃え盛り、一気に兵部へと襲い来る。まるで火の波に呑み込まれるように、兵部の身体が炎に掻き消される。
 兵部の姿が炎に消されるのを、光一はただ無表情に見つめていた。そうして次の標的を見定めようと視線を移した、その瞬間。
「まったく。君には遠慮ってものがないのかい?」
「!?」
 気配もなく光一の背後に兵部は現れると、そのまま後ろ手に腕を拘束し身体を押さえつける。悔しげに睨んでくる光一に、兵部はふと息を吐く。
 兵部とて光一に手荒な真似はしたくないが、今はそんな事を言っている場合ではない。無傷で光一を捕えて、黒い幽霊の洗脳を解くことが先決だ。
「油断したね。君には超度2といえど予知能力があるはずだ。それで僕の出現もわかったはずなのに」
「な……! なんでそれを知って……っ」
「言っただろ? 一緒にお風呂に入って寝た仲だって。光一のことで知らないことなんて何もない」
 冗談めかしてそう告げると、光一の顔が悔しそうに歪められた。
「遊びは終わりだ」
 抑揚なく囁いて、兵部は抵抗しようとする光一の意識を刈り取った。
 ぐったりと意識を失くした身体を腕に抱えて、兵部は己の中で湧き立つ怒りを彼自身へとぶつけてしまわないように、ここにはいない敵を見据えるように、虚空を睨み付けた。
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