少年が求めたものはただ唯一の居場所

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  理想郷 01  

 上がる砂塵。
 煙る空の景色。
 崩れ落ちる建物。
 それらを眺める、無表情の青年。

 またひとつ、壊れていったものに、青年が感情を動かされることはない。
「兵部さん」
 不意に、兵部を呼ぶ声が背後から掛けられた。
 その声に兵部が緩慢に振り返ると、呆れたような顔をした少年を見つける。兵部は苦笑いの表情を浮かべた。
「やぁ、皆本クン」
「全く、こんなとこで何をやってるんですか。皆探してますよ」
 非難を込めた言葉を吐きながらも、その口振りには諦めの色も滲んでいる。
 この、自分達の指導者である兵部の独断・単独行動は既に日常茶飯事なのだ。指導者自らが協調性もなくどうするのか、と頭を抱えても、それが何の考えもなしに行なわれているわけではないと分かっているから、咎めることも出来ない。
 ただ、そうであるのならば、一言くらい言葉が欲しいのが本音だが。単独行動を起こす兵部の回収は、主に皆本の仕事なのだから。
「あの建物、反エスパー主力団体の一つの中枢ですよね」
「うん。皆本クンよく知ってるね」
「それくらい知ってますよ。……さ、帰りますよ」
 どことなく子供扱いされてるような兵部の言葉に、返す皆本の言葉も素っ気なくなってしまう。
「えー、もう? 折角なんだからデートしない?」
「し、ま、せ、ん! 大体、何が折角なんですか。誰の所為で此処にいると思ってるんです」
 誘いも一刀両断。
 皆本クン冷たい、と兵部が嘆いてみせても、少年から返るのは冷ややかな眼差しだ。
 しかし、それが本心からではなく、ただのポーズだと分かっているから、からかい遊ぶように兵部は毎回似たやり取りを繰り返す。自分の想いがどこにあるのか、冗談に紛れさせるように。
「最近真木に似てきたぞ?」
「その真木さんも待ってますから早く行きますよ」
「まさか君、真木と二人きりだったんじゃ……」
「だといったら?」
 並んで歩きながらふと皆本が顔を覗き込みながら訊ねると、兵部の顔が歪む。どことなく不穏な雰囲気に身の危険を感じ、皆本が一歩下がるが時既に遅し――例え間に合っていても無意味だと思うが。
 がっちりと肩を捕らえられ、近すぎるほどに兵部に顔を近付けられる。
「真木に何もされなかったか!?」
「何もされてませんよ、アンタじゃないんだから! ……あ」
 言って、失言と気付いても、既に遅い。
「ほ、ほら早く。帰ろう、兵部さん」
 慌てて取り繕い身体を放すと、皆本は兵部の手を引いて足早に歩き出す。だがぐいっと力一杯後ろに引き寄せられて、皆本の身体は簡単に兵部の腕の中に納まった。
「ひ、兵部さん?」
「僕は真木とは違うからなにかされるんだろう?」
「ひっ」
 囁いて、べろりと舐め上げられたうなじに、皆本の絶叫が青空へと吸い込まれていった。

□ ■ □

「少佐! ……と、どうしたんです、皆本は」
 瞬間移動で真木の前に現れた兵部と皆本。しかし別れた時は何の異常も見せなかった皆本は、今はぐったりと兵部に抱えられている。一瞬皆本の身に何があったのか、襲撃かと過ぎり、真木が周囲の気配を探るがそれらしきものもなく、それに仮にそうだとしては皆本の身体に外傷は見えない。
 一体何が、と思い兵部に訊ねるが、返ってきた言葉は真木には訳が分からない。
「僕は真木とは違うらしいからね」
「は……? ……皆本?」
 首を傾げ、やはり当事者に訊ねるべきかと真木が皆本にも声を掛けるが、返ってくるのは気のない笑い。
「あはは……。なんでもないです、真木さん」
 外傷も見られず、兵部にも気にした様子は窺えないから既に終わった事か大したことではないのか。憶測するしかない真木が考えても分かるはずもなく、その件は終わらせる。
「帰るぞ、真木」
「はい」
「え、ちょっ、兵部さん下ろして!」
「うるさい。君に帰りの体力があるのか」
 そういわれてしまえば正直なところ自信はなく、皆本は言葉を詰まらせた。だけど、と、ちらと往生際悪く真木に視線を送ってみても気にした風でもなく、皆本は素直に身体の力を抜き、兵部に預けた。
 しかし、元はといえば体力が落ちてしまったのは他でもない兵部の所為なのだ。己の失言が切欠だったにせよ、兵部の大人気ない行動には辟易としてしまう。別に触れていなくても瞬間移動は出来るのだが、しょうがないという表情を全面に出して、皆本は兵部に甘える。
 回した腕に力が入ったのが分かったのか、視線を向けてくる兵部と顔を合わせないように皆本は肩に強く顔を押し付ける。くす、という笑い声が聞こえたかと思うと、ぐっと近い距離で声が囁かれる。
「足りなかったの? 光一」
 鼓膜を揺るがす低い声に、ずくん、と腰の奥が重く感じる。
 一瞬で顔を真っ赤に染め上げた皆本はわなわなと身体を震せ、瞬間移動で真木の傍へと移動する。
「調子に乗るな! 変態ジジイ!」
「なに。そんなに君は真木がいいの」
 先程とは別の、感情を抑えた低い声に皆本はぐ、と尻込みをする。防衛本能か、無意識に真木へと身を寄せる皆本に、一層兵部の目つきが悪くなる。睨み合ったままじりじりと互いに距離を取り、その一番の被害は両者に挟まれた真木だろう。
 兵部が直接皆本に何かしらの危害を与える事はないと分かっているにせよ、困っているのなら放っておく事は出来ないし、ただで巻き込まれるわけにもいかない。それでも、と兵部を一瞥し、真木は己の身体にしがみ付く皆本の手を離させた。その時の縋るような眼差しにうっと息を呑むが、背中にビシビシと突き刺さる視線が痛い。
 何で自分が、と己の立場を嘆きつつ、兵部に向き合う。
「大人気ないですよ、少佐」
「黙れ。お前には関係ない」
「皆本は少佐が突然お一人で居なくなる度に心配してるんですよ? 今回も危険だと言ったのに迎えに行くと聞かなくて……」
 初めて聞くその内容に、兵部からすっと表情が消える。
 そんなこと、一度だって兵部は聞いた事がない。毎回皆本が兵部を迎えに来るのは、彼の言う事であれば一番聞き入れるからだと、そう思っていた。
「わー! あー! ああー!! それは兵部さんには言わないでって言っただろ!? 真木さんッ」
「しかしだな。こういうことは一度ちゃんと本人に……」
「兵部さんだからそれは駄目なんじゃないか! そんなこといったらどれだけ調子に乗るかっ……!」

「ふ〜ん。やっぱり仲良いんだね、君たち」

 抑揚のない声に皆本ははっと我に返り、わたわたと真木から離れる。感情的になって抗議していたお陰でつい、その胸倉を掴んでいたらしい。そうじゃないのだと言っても、この聞き分けの悪い自己中心的な男が素直にそれを納得してくれるのかどうか。
「あ、や……、だから、これは」
「本当なの?」
「ふぇっ?」
 予想外の言葉に、奇妙な声が漏れ出た。一人それを恥かしがって、しかし話の流れからの兵部の言葉の意味を考えて、皆本は充分に躊躇ってからこくん、と頷いた。
 皆本にとって、兵部はこの世で最も失えない、失いたくない人だ。そんな人が単独で、しかも敵地に乗り込んでいるのだと知って、見過せるわけがない。何故兵部が単独で行動を起こすのか、分からないわけではないが、やはり、心配なのだ。黙って帰りを待つことは出来ない。自分に力があるのなら、尚更。
 俯き、きつく拳を握り締めて肩を震わせ始めた皆本に、兵部はそっとその肩を抱き締めた。やはり、どんなに能力が高くても大人びていても、皆本はまだ子供だ。それが背伸びなのだと、分からない兵部ではないはずなのだが。
「真木。お前先に帰っててよ」
「……分かりました。ちゃんと帰ってきて下さいね」
「うるさいよ」
 皆本も一緒だし然程心配しなくてもいいだろう、と思うものの、このままでいいのか、とも思う。真木にとっても皆本は大事な仲間であり、弟にも近しいものでもある。一抹の不安が拭えないが、自分と同じように、あるいはそれ以上に、兵部も皆本を大切に思っている。
 当人同士の問題に第三者が口を挟む事は出来ないだろうと、溜息一つを残して真木は姿を消した。
「皆本クン。……光一?」
 静かに呼びかけると、抱き締めた腕の中ですん、と鼻を啜る音がする。気が落ち着くまではこのままがいいかと背中を撫でてやろうとして、その手が宙で止まる。
「分かってるさ。兵部さんは僕が居なくても大丈夫なんだって。だけど、心配するくらい、いいだろ」
「いいや。全然分かってないね」
 否定する兵部の言葉に身体が強張ったかと思うと、嗚咽が酷くなる。その背をあやしながら兵部は更に続ける。
「光一が居なくても大丈夫だって? 逆だ。君が居るから僕は大丈夫なんだよ。……心配してくれて嬉しい。ありがとう、光一」
 兵部が皆本の頬へと手を滑らせると、何をされるのか悟ったのか、頑なに俯き拒絶するように首を振られる。だがそれを強引に上げさせて、兵部ははらはらと涙を零す目許に口付ける。雫のしょっぱさに素直にそう呟きを漏らせば、皆本が小さく笑う。
 幾度も繰り返し涙を吸い取ると、腫れた赤みだけが唯一の泣いた証となる。その瞼にも口付けて、照れたように笑う皆本に兵部も満足げに頷く。
「……帰ろ、兵部さん。あんまり遅くなると真木さんに怒られる」
「アイツは怒るのが趣味なんだから気にするな」
「兵部さんが怒らせてるんだよ。……もし真木さんが怒ってたら兵部さんが怒られてね」
「イヤだ」
 むすり、と子供が拗ねるように返されて、皆本の口からは自然と笑みが零れていた。


 結局、真木からのお咎めはなかったものの、皆本が泣いたとされる原因が兵部にある、と少々歪曲して広まり――あながち間違いでもないが――、葉やマッスル、桃太郎や紅葉といった面々を筆頭に、兵部が責められるのはまた別の話である。
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